今回は、溝の口駅を始点に、鷺沼駅迄歩きました(2016年8月25日)。歩いたコースは下の地図のとおりです。現在の地図(オープンストリートマップ使用)と明治時代後半の地図(「今昔マップon the web」使用)です。
溝の口駅で集合し、早速大山街道に戻り歩きはじめました。歩いてすぐの所に①、陶芸家濱田庄司の生誕の地の碑があります。碑には「巧匠不留跡」と彫られていますが、隣の説明板には、碑意は「陶匠は跡を留めず」、と書いてあります。なお、濱田庄司の生まれた家については、前回の記事「大山街道4 二子新地~溝の口」の中で、大山街道ふるさと館の隣として書いてあります。
その少し西側に庚申塔と大山道標があります。
更に進むと、ねもじり坂に差し掛かります。下はこの坂の説明板です②。
この坂の上に笹の原子育て地蔵があります③。子供のいなかった夫婦が、四国八十八ヶ所の巡礼で願いがかない子供が授かった御礼に建てたのだそうです。下の写真の中央が地藏堂です(Iさん撮影)。お堂の中に地蔵菩薩が置かれているようです。お堂の右前の碑には、「秩父、西国、坂東供養塔」とあります。お堂の左前の祠にもお地蔵さんがいます。
上の写真の左側の木の向こうから撮った写真が下です(AFさん撮影)。
更に、梶が谷駅の入口を曲がらずに真っ直ぐ進むと道標と庚申塔があります④。西荏田方面、東二子橋方面とあります。
国道246号線を越えた先に、宮崎大塚があります⑤。これは、古墳なのか、武器の隠し場所に使ったのか、も分からないようです。
下の写真は庚申坂で、坂を下った所に庚申坂の説明板があります⑥(写真の左端)。
この後、昔を懐かしみ、寄り道(上の地図のオレンジ色のルート)をし、写真を撮りました⑦。
下はこの日の後半の地図です。
現在、地図の右端から1km余りは、宅地造成のため昔の大山街道は殆ど残っていません。地図の赤色の破線は、旧大山街道に最も近く、かつ現在歩ける道を表しています。明治時代の地図を見ると、地図上の赤い破線が古い道から外れて走っていますので、その変化がよく分かります。
宮前平駅の前に八幡神社があります⑧。
下の写真は八幡神社の本殿(左)と小台稲荷神社(右)です(Iさん撮影)。
本殿の前で全員揃って記念写真です(Nさんのカメラ)。
この後、宮前平駅の前を通り、田園都市線をくぐり抜け先へ進みました。旧246号線に合流する所まで来てしまいましたが、途中にあったはずの三角点⑨を見落としました。下の写真では、皆さん地図を見ながら何やら論じあっています。この後、来た道を少し戻り、なんとか三角点を探し出しました。
これが三角点の標識です。下の写真の左のように草むらに隠れていたため見落としたようです。
ここまで来れば鷺沼駅はもうすぐです。今日は、鷺沼で終わりとし、いつものとおりビールとランチで打ち上げました。
怪人230号
三角点を探すのに苦労しましたね。三角点というのはもはや歴史的な遺物でしょうね。航空写真や衛星を用いた測距が発達した今どきは三角測量のようなものはやられていないとでしょうね。
arukoyo
三角点は、よくぞ見つけましたね。
衛星を使ったシステムが増えているのでしょうが、その辺を歩いていると、メジャーの親分みたいのを立てて遠くから小さな望遠鏡みたいので覗き込んで測量している風景もたまに見ることがありますので、用途によっては相変わらずあるのでしょうか。