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大山道

大山街道歩き3-1 豪徳寺、北沢八幡他(2016/6/27)

招き猫

先日、世田谷を通過した際、松陰神社や豪徳寺をパスしました。その後、訪れなかったところも行ってみよう、ということになり、大山街道からルートを少し広げ散策をしてきました(2016年6月27日)。上の写真は、この日訪れた豪徳寺の招き猫です(AFさん撮影)。

下の地図はルートの前半です。「今昔物語3」を使っています。オレンジ色の破線が今回の大体のルートで、赤色の破線は旧大山街道です。

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世田谷線松陰神社前で待ち合わせ、最初は松陰神社に向かいました①。松陰神社の祭神は吉田寅次郎藤原矩方命(ふじわわらののりかたのみこと)、つまり、松下村塾を主宰した吉田松陰です。勝因の門下生であった高杉晋作や伊藤博文等によって、この地に葬られ、その後、1882年に墓所に神社を創建したのが、この松陰神社です。下は、正面参道から始まり、左下が本殿、右下は松下村塾を模擬した建物で現在修復中でした。

下は松蔭の墓です。

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松陰神社から、烏山川緑道を通り世田谷城址公園に行きました②。ここは、吉良氏(清和源氏の流れ。後出の勝光院で少し詳しく書きます)の城があったところです。

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その後、豪徳寺へ向かいました③。下は、豪徳寺の門柱と山門です。

下は仏殿です(Iさん撮影)。

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下の写真は、上の仏殿の三世仏で、左から順に阿弥陀、釈迦、弥勒です。阿弥陀は上品上生、釈迦は施無畏与願印、弥勒は禅定印(弥勒の場合は別の呼び方かもしれません)のようです。

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豪徳寺は招き猫で有名なお寺ですが、下の写真の右上の三重塔の欄干に、鞠と遊ぶ猫の彫り物があります。右下では、招き猫が一面に置かれていました。これらも含め、当日はお話の上手なボランティアガイドの方がいて、いろいろと説明して下さったため、楽しみながら理解できました。

豪徳寺に井伊家の墓所があります。近江藩主の井伊家は江戸時代初期に世田谷に所領を持つようになり、弘徳院(今の豪徳寺)を菩提寺にし、その後、豪徳寺境内を井伊家の墓所としました。井伊家は、大阪夏の陣で功績を上げ、譜代大名の筆頭格の位置を確保し、江戸末期迄続き井伊直弼の大老就任に至っています。下の写真は、墓所入口と井伊直弼の墓です。

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豪徳寺の江戸時代の様子はこちらで。

豪徳寺参道を出て、烏山川緑道を越えて真っ直ぐ進むと、勝光院があります④。

勝光院の本堂です。

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勝光院は吉良氏の菩提寺で、境内には吉良氏墓所があります。この吉良氏は、上述の世田谷城址で少し書きましたように、清和源氏足利氏一族ですが、吉良上野介(三河吉良氏)とは別の流れで、奥州(武蔵)吉良氏と呼ばれます。室町時代に奥州管領となり、また、その頃、世田谷に居城を構えたということです。しかし、戦国時代に北条側についたため勢力を失い、徳川時代に入って復活しています。

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その後、北上し世田谷八幡宮に向かいました。下は境内と本殿です⑤。写真のように、大変立派な神社です。今日は、ここで、駅の近くで買ったコンビニ弁当でお昼にしました。

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境内での風景です。

その後、羽根木公園⑥を経由し、文学の小径⑦(AFさん撮影)等のある、北沢川緑道を進みました。

緑道でパチリ(AKさん撮影)。

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今日のコースの後半の地図です。

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北沢川緑道を進み、茶沢通りを越えたすぐのところに、森厳寺(しんがんじ)があります⑧。下は、森巌寺の山門です。

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下は森厳寺の本堂(右)と閻魔堂・不動堂(左)です。境内には幼稚園が併設されており、園児とお迎えのお母さんたちが大勢いました。

下の写真は境内にある淡島堂ですが、これは北澤淡嶋神社という神社です。お堂に見えますが実は拝殿です。

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森巌寺の隣に北沢八幡神社があります⑨。北澤八幡は、15世紀後半に世田谷城主であった吉良家の勧請との言い伝えもあるそうです。9月のお祭りは、現在も下北沢地区の最大級の年中行事のようです。

北沢川緑道を更に進むと、烏山川緑道との合流点⑩(下の写真右)に至り、そこから少し歩くと池尻大橋に着きます(写真左)(AFさん撮影)。

目標の池尻大橋に到着し、この日も、例によって、ビールで乾杯しお昼を食べ解散しました。

2 コメント

  1. 豪徳寺の井伊家は幕末の井伊大老で有名ですが、ずいぶん古くある家柄なのですね。以下数行ウィキペディアからの引用ですが、少なくとも900年以上続く家柄ですね。
    [井伊氏は藤原北家の後裔(系譜上では藤原良門の息子である藤原利世の子孫とされる)を称する。江戸時代、『寛永諸家系図伝』以来、公式に称している。三国姓(継体天皇の後裔)とする系図や藤原南家(為憲流)とする説も存在するが、室町時代以来「藤原」を称している資料は現地に残っている。中世に約500年間、遠江国井伊谷の庄を本貫として治めたとされる。]
    その後今川から徳川に乗り換えて家康の配下になって出世し、徳川四天王の地位を確保したのが、江戸時代の繫栄に繋がったとのことです。井伊家は今も続いて現在が18代当主ですが、18台という数え方は恐らく彦根藩になってからで、その前に井伊谷で500年続いたということだと更に10数代の歴史がありそうです。わかっているだけで24代と数える数え方もあるそうです。
    豪徳寺の立派な井伊家墓所を見て、何となく調べてみたくなりました。
    これも街歩きの楽しみの一つである呆けもん調査です。

    • 井伊家の墓地は立派でしたね。
      ボケモン230号さんが書いているように、歩いてみると、いろいろと調べてみたいことが増えますね。このブログでも少し調べて書いたりして楽しんでいます。

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