用賀付近には大山街道のルートが2つあります。今回は、前回通らなかったルートに九品仏を経由するルートを加えて歩いてきました(2016年11月7日)。

下は1枚名の地図で、赤い破線で大山街道の東側ルートを示し、訪れた場所を丸数字で示します。

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用賀駅で集合し、大山街道沿いに進みました。先ず、行善寺を訪ねました①。行善寺は室町時代に始まる浄土宗のお寺です。下は、門柱と本堂です。

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行善寺は、境内の見どころを行善寺八景として紹介しています。

行善寺は崖の上にあり、下の写真のように、二子玉川の町並みがとても良く見えます(Iさん撮影)。晴天であれば、富士山や大山が見えるそうです。

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行善寺の南東に法徳寺があります②。浄土宗で、室町時代の開基だそうです。

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法徳寺を出たところで、大山街道とは別れ、丸子川に沿って進みました。下は、2枚めの地図です

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丸子川に沿って進み、上野毛通りと交差したところで南に向かうと二子玉川公園③に出ます。

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新しい公園で、この公園内に、旧清水邸書院と日本庭園(帰真園)があります。

多摩川の堤防の道を通って等々力渓谷に向かう途中、善養寺、野毛六所神社に寄りました。

善養寺は、真言宗智山派で、下は、善養寺の本堂とかやの大木です④。

下の写真は野毛六所神社(のげろくしょじんじゃ)の鳥居と本殿です⑤。江戸時代初期の洪水のとき、小さな祠が上流から(府中の方から)流れてきたので、土地の人がそれを六所明神と呼んで崇めたのが、この神社の始まり、とのことです。六所神社とは府中にある大國魂(おおくにたま)神社のことです。この六所神社の別当は上に書いた善養寺でした。

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六所神社から東へ進み、等々力渓谷に着きました⑥。

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等々力渓谷に沿ったところに等々力不動があります。正式には等々力不動尊明王院で、真言宗智山派の寺院です。次に述べる満願寺の別院だそうです。

下は、等々力渓谷からの上りの参道、本堂、山門です。

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等々力渓谷を抜け等々力駅を通り越したところに、満願寺があります⑦。

満願寺は真言宗智山派で、平安末期の創始だそうです。江戸時代の満願寺の様子をここに書いてあります。下は、満願寺の山門と本堂です⑦。

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下右は、満願寺の客殿の右側一部で、一言(ひとこと)地蔵尊が安置されています。

満願寺の少し北に玉川神社があります⑧。世田谷城主の吉良頼康が熊野から勧請した神社で、昔は熊野神社と呼ばれていましたが、明治後期に他の神社も合祀し玉川神社となりました。下は本殿です。

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鳥居と奇妙な形をしたクスノキです。

玉川神社を出て東に進みます。地図は3枚めの地図に移ります。

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次は、九体の阿弥陀様で有名な九品仏浄真寺を訪ねました。浄真寺の江戸時代の様子が江戸名所図会に書かれています。こちらで昔と今の比較をしています。

下は浄真寺の参道で、正面が山門です⑨。

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山門を入って正面に開山堂があります。当寺開山の珂碩(かせき)上人の像を安置しているそうです。

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下は仁王門です。

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下が本堂です。

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阿弥陀佛には、腕の位置で三種類(上品、中品、下品)、親指と他の指で作る輪に三種類(上生、中生、下生)、計9種類の印があります。品は「ぼん」とよみ、生は「しょう」」と読みます。

下は九体の阿弥陀様が三体ずつ安置されているお堂です。上品堂(右上)、中品堂(右下)、下品堂(左)とあり、三仏堂と呼ばれます。

この後、自由が丘でビールと昼食をしながらおしゃべりを楽しみ、その後、改めて歩きはじめました。

下は自由が丘駅の北側にある熊野神社の鳥居と本殿です⑩。熊野神社は、谷畑と呼ばれたこの地の氏神様だったのですが、江戸時代に、谷畑の住人が熊野の本宮から分霊を頂いてきて祀り、熊野神社となったのだそうです。

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下は奥沢神社の鳥居と本殿です⑪。奥沢神社は、世田谷の城主であった吉良家の家臣、大平氏が守護神として八幡を勧請(分霊を頂くこと)したのが始まりで、明治に奥沢神社と改称したのだそうです。毎年9月の第2土曜日には「奥澤神社の大蛇お練り神事」が行われます。藁で作った大蛇を村人が担いで村内を巡行する行事で、江戸時代に始まるのだそうですが、下の写真の鳥居に掛かっているのがその大蛇です。

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今日はここで終了です。