江戸城外濠の一部を歩いてきました(2017年2月6日)。虎ノ門をスタートし、新橋を経由し浜離宮を散策するコースです。江戸時代の外濠に沿って進みますが、現在水の流れは見えず、遺跡を探し、流れを想像しながらの歩きです。上の写真は浜離宮です(AFさん撮影)。
下の地図では、この日訪ねた所を丸数字で表しています(今昔マップ3のオープンストリートマップを利用)。
今回掲載した写真は多数タイル状にまとめて並べました。タイルを左クリックすると個々の写真が見られます。
銀座線虎ノ門駅を出発点として、先ず、虎ノ門三井ビルの前の、江戸城外堀跡を見ました①。江戸城外濠碑と石垣です(Iさん撮影)。
外堀通りを挟んで反対側、文科省前の江戸城外堀跡の石垣です②。
文部科学省の作った外濠石垣地下展示場が地下鉄虎ノ門駅11番出口の地下にあります。上の写真の下部に当たります。この展示スペースには、石垣の位置、どのように造られたか、石に付けられたマークの意味など、いろいろな解説があります。
上の地図の③の辺りに虎ノ門の枡形門があったようですが、今はその陰も形もありません。その少し南の外堀通りに面して、虎が乗っかった虎ノ門遺址が置かれています。
大同生命ビルの植え込みに解説板が置かれており、この場所の変遷が分かるようになっています④(Iさん撮影)。
日比谷セントラルビルの南側に、発掘された石垣が残されています⑤。
日比谷公園の角をかすめるように進みました。下は、日比谷公会堂です⑥(Iさん撮影)。
ダイビルの正面や庭に虎や豚?の動物の像がありました⑦(Nさん撮影)。メンバーのIさんがダイビルの守衛さんに伺ったところ、はっきりは分からないが、船の舳先に付けた飾りではなかろうか、というお話があったようです。
JRのガード近くに新幸橋(しんさいわいばし)の碑がありました⑧。この辺りは外濠だったことは確かですが、この新幸橋は明治時代に作られた橋だそうです。
汐留シティセンターのお弁当のコーナーでお昼にし、その後、先ず、旧汐留停車に行きました。下の写真です⑨(Iさん撮影)。しかし当日、残念ながら展示室は休館でした。
浜離宮の入口「大手門」周辺の写真です⑩(Nさん撮影)。
下は、浜離宮のホームページから借用したマップです。大手門はマップの左上の門です。
下は花木園の辺りでの写真です(Iさん撮影)。梅は未だでしたが、ロウバイが花びらは少ないながらも匂いを放っていました。
次は、潮入の池周辺の写真です(AFさんの撮影)。
同じく、潮入の池の周辺です(Iさん撮影)。
安藤さんのカメラで記念撮影です。
庚申堂鴨場周辺の写真です(Iさん撮影)。
お花畑に向かう途中、椿はボタッと落ちるので山茶花のほうがよい、と言ったら、風情を解さない人だ、とNさんにこってりと叱られました。下の写真の場面でのお話です(Nさん撮影)。
お花畑では、菜の花が見事に咲いていました(Iさんの撮影)。
AFさんの撮影です。
Nさんの撮影です。
今日の参加者を、菜の花畑の反対側から撮りました。
浜離宮を出て、銀座方面へ向かいました。
下は、写真に見えるように、銀座に残さされた唯一の鉄道踏切信号機です⑪。
下は、芝口御門跡です⑫(Iさん撮影)。朝鮮通信使を迎えるために作られた門だそうです。
ここで今日の街歩きは終了し、いつものとおり、旨いビールで乾杯しました。
ボケモン230号
何故浜離宮にには旧が付かずに芝離宮には旧が付くか、ネットで調べたが明確な答えは出て来ませんでした。
そこで、小生の勝手な解釈を記述しておきます。
芝離宮と浜離宮の下賜の時期とされ方による。芝離宮は大正年間に皇太子(昭和天皇)のご成婚を祈念して東京市に下賜されたもので、その時点で天皇家にご遠慮して旧芝離宮公園とした。
浜離宮の方は戦後まもなくGHQの命により(無理矢理)東京都に下賜された。東京都は皇室より一時お預かりするという意識で旧を付けずそのまま浜離宮恩賜公園として残した。違うかな??或いは戦後は遠慮が不要になったのか知れませんね。歴史というのは勝手に想像してみるのもまた楽しですね。
浜離宮を訪問したのは多分3回目ぐらいだと思いますが、旧芝離宮は行ったことが無いので、そのうちチャンスを見つけていきたいものです。