今回は、小田急小田原線本厚木駅で集合し、愛甲石田駅の少し先まで歩きました(2017年4月27日)。上の写真は、厚木で撮った大山です(Nさん撮影、トリミングあり)。大分近づいてきました。

下は、今回訪れたところを示す一組目の新旧地図です。今昔マップ3を使い、オープンストリートマップと明治後期の地図を表示しています。赤い破線は旧大山街道に近い現在の道、丸数字は訪れた所です。新旧地図を比較すると、この辺りの大山街道は昔の道がよく保存されていることが分かります。

mapohyamakaidoatsugi2mapohyamakaidoatsugi2o

朝9時頃、本厚木駅を出発し旭町2丁目の旭町チビ公園を通る道を進んだのですが、そこは、大勢の人の通勤路でした。この人達は誰なんだろう、と思ってついて行ったら、ソニーの社員でした。

ソニーテクノロジーセンターの門の向かいに下の写真のキリンド橋の碑がありました①。ここから、大山街道を歩きます。

DSCN5312.JPG

上の明治時代の地図を見ると、この辺りに川の流れていたことが分かりますが、それは厚木用水と呼ばれたようです。それを渡る橋①が昔は桐辺橋(きりべばし)と呼ばれていたらしいのですが、何故かそれが聖代橋(きりんどばし)に変わったということです。

現在、用水は見えず、橋は見当たりませんが、旭町チビ公園からここまで歩いていた道が、暗渠になっている厚木用水のようです。そうとは知らずに歩いていました。

先へ進むと岡田一本杉バス停があり、その横に御嶽神社があります②。岡田一本杉は、昔ここに一本杉があったことから付いた地名のようです。

DSCN5313.JPG

下はNさんの撮影です。正面に大山が見えています。なお、この写真を横長にトリミングして表題の写真として使いました。

DSC04692.JPG

上の写真は西を向いて撮っています。このあたりの大山街道は南に向かっていますので、大山から遠ざかっている感じがして心配になります。が、もう少し進むと西へ向かいます。

下は、Nさんの撮影です。撮る人も撮られる人も、道の真中で何やってんだか。

DSC04693.JPG

下は、馬頭観音の石碑です③。「南無馬頭観世音・・」と彫られているようです。

DSCN5316.JPG

そこから暫く、他所の家を覗き込みながら?大山街道を進みます。

次は三嶋神社です④。大山街道に下の写真のような「矢倉沢往還」と書かれた新しい道標があり、そこを曲がると三嶋神社です(Iさん撮影)。

DSCN5326.JPG

P1070946.JPG

三島神社の境内の様子です(Iさん撮影)。境内には大きな木が沢山あります。道祖神が多数集められたコーナー、稲荷など写真に撮りました。

下はAFさん撮影です。この神社には鐘楼が残っていました。

皆さん頭を寄せ集めて何やってんだか(Nさんの撮影)。

DSC04702.JPG

下は、永昌寺です⑤。鰻観音と呼ばれるのだそうです。

下は二組目の地図です。現在の地図と明治時代の地図を比べると、国道129号線と交差する所以外は、大山街道がほぼ昔のまま保存されていることがわかります。

mapohyamakaidoaikoishida2mapohyamakaidoaikoishida2o

東名高速道路をくぐって更に進むと長徳寺があります⑥。下は長徳寺の山門です(Iさん撮影)。境内は美しい庭園になっています。

P1070950.JPG

長徳寺の境内です(Nさんの撮影)。

AFさんの撮った長徳寺境内です。

TNさんの撮影による長徳寺境内です。

下は私の撮った長徳寺境内です。

このお寺の本堂横の裏口に通じる参道脇に駿河屋彦八の碑があり、渡辺崋山の遊相日記に書かれた酒井村在住の侠客駿河屋彦八家の墓がここにあったことを記してあります。上の写真の最後がそれですが、碑の部分のみを下に載せます。それによると、墓石二基は多年の風雨にさらされ朽ち果てたため刻字を判読できず止むを得ずこの地に墓石の存在せしことを記すに止めた、とあります。遊相日記によると、彦八は元侠客で反骨精神に富む怖い人だったようですが村人の信頼が厚く村長になったのだそうです。なお、彦八が華山達と会ったときの状況については、「大山街道歩き10 海老名~厚木」の万年屋の記述の辺りに少し書いてあります。

DSCN5337.JPG

その横に法徳寺があります⑦。

Nさんの撮った法徳寺境内です。

AFさんの撮った法徳寺境内です。

法徳寺を出て少し進むと岡田用水堀に出ます⑧。

DSCN5344.JPG

ここに道祖神が置かれていました(Iさん撮影)。

P1070956.JPG

その道祖神を眺めている図です。

DSCN5345.JPG

更に南へ進むと、なにやら素性の分からないIさんが撮影を試みている石造物があります⑨(いうまでもありませんが、「なにやら素性のわからない」はIさんにではなく、石造物に掛かっています。念のため)。

DSCN5346.JPG

これが西へ向かう大山街道への分岐点としての目印になりますが、下の写真のように文字がまったく読めません(Nさん撮影)DSC04745.JPG

曲がってすぐのところに酒井寅薬師があります⑩。

DSCN5348

下は薬師堂の脇にある道標です。元は近くのバス停にあったものだそうです(Iさん撮影)。

すぐ近くに法雲寺があります⑪。下は、法雲寺の門柱と本堂です。

下は、Nさん撮影の法雲寺境内です。

そこから大山街道に戻り先へ進むと、玉川に架かる新宿橋(しんしゅくばし)にでます⑫。下の写真から、「しんじゅくばし」と濁ってはいないことが分かります(Nさん撮影)。

下は新宿橋のたもとにある道祖神です。

その辺りで撮った大山です。

DSCN5358

下は稲荷祠です⑬(Nさん撮影)。

この先、位置があいまいなのですが、⑭辺りに下のようなお地蔵さん?が幾つかあります(Nさん撮影)。

大山街道が左に大きく曲がるところに庚申塔があります⑮(Iさん撮影)。愛甲宿の庚申塔だそうです。

下は大厳寺(だいげんじ)で、坂を登ったと先に本堂と六地蔵があります⑯(Jさん撮影)。

下は、AFさんの撮影です。本堂よりも高い所にある墓地から撮っています。

P_20170427_113159_HDR.jpg

その隣に円光寺があります⑰。下は、異国情緒の少し感じられる山門と、本堂です(Iさん撮影)。

円光寺は愛甲(あうこう)三郎季隆(すえたか)の位牌を安置しているそうで、下は愛甲三郎の供養塔の下でくつろぐ我がメンバーです。

DSCN5371.JPG

愛甲庄は厚木市愛甲を含む玉川流域の広い領地で、愛甲三郎季隆の代から愛甲を名乗るようになったので、三郎は愛甲氏の祖とされている、というようなことが、境内にある説明板(Iさんの撮った下の写真)に書いてあるのですが、説明板では、「季隆」の文字が「李隆」となっていたため、Iさんは、なんと読むのか悩んでいました。

P1070979.JPG

下は、8体一組の石造物です(Nさん撮影)。

DSC04832.JPG

円光寺を出て先へ進みます。下は、笠塔婆型の庚申塔で道標でもあります⑱。字はほとんど読めません。

DSCN5373.JPG

ここを過ぎるとすぐ愛甲石田駅です。

駅の前の和菓子屋さんで愛甲名物の亀最中を買い満足げなメンバーを急かしてもう少し進みました。

下は、三組目の地図です。この辺りの大山街道は、愛甲石田駅の近くで、小田急線と国道246号線により、ほんの少し変わっているだけです。

mapohyamakaidoaikoishida4mapohyamakaidoaikoishida4o

下は浄心寺の境内と本堂です⑲(Iさん撮影)。

Nさんの撮影した浄心寺境内です。

下は長龍寺です⑳。門柱と本堂です(Iさん撮影)。

TNさんの撮影した長龍寺です。

今日はここでお終いとし、近くのバス停から伊勢原駅へ向かい、駅の近くのレストランでビールとお昼を頂きました。