今回は、小田急小田原線愛甲石田駅で集合し、前回の終了位置まであるき、そこを出発点とし、大山を目指しました(2017年5月25日)。上の写真は、普済寺の多宝塔と大山です。

下は、今回訪れたところを示す一組目の新旧地図です。今昔マップ3を使い、オープンストリートマップと明治後期の地図を表示しています。赤い破線は旧大山街道に近い現在の道、丸数字は訪れた所です。古い地図を見ると、この辺りは古い道が比較的よく残っていることが分かります。

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小雨がぱらつくなか、愛甲石田駅から国道246号線を西に向かい歩きはじめました(Nさん撮影)。

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途中から、下の写真のように、旧大山街道は246号線から離れます(Nさん撮影)。正面の丘は後で出てくる小金塚です。

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10分余で前回の終了地点(谷戸入バス停)に到着です①。

先ず、前回バスの時間に追われてさっと見ただけだった長龍寺②に寄りました。

その後、長龍寺の横を抜け、こんもりとした台地に向かいます。これは小金塚(こがねつか)という円墳だそうで、その頂上に小金塚神社にあります③。

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下は小金塚神社の拝殿と鳥居です。

小金塚神社には鐘撞き堂がありました(TNさん撮影)。明治時代の神仏分離令により神社の鐘楼は大部分が取り壊されたものと思われますが、一部残っているようです。この後歩いてみて感じたのですが、この辺りには鐘楼の残っている神社が結構ありました。

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裏参道から入りましたので、帰りは階段の参道を下ります(Nさん撮影)。

下は、小金塚の全貌です。この茂みの中に神社があります。

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そこから、坂を下り、小田急線を渡るとバス通りで、そこに道標があります④。

バス通りに沿って歩くと白金地蔵があります⑤(TNさん撮影)。

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JAの前で南に折れて進むと歌川があります⑥。下は歌川橋です(Nさん撮影)。

下は歌川橋から大山を見た写真です。歌川の上流(写真の左側)に陸橋のように見えるのは、工事中の第2東名です。

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さらに南下すると下のように、道祖神が集められている所がありました⑦。元々は100m程北にあったものが、県道22号横浜伊勢原線の工事の際、こちらに移されたようです。又、現在、県道22号線の上は第2東名の工事中です。

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下がその道祖神です。

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この道祖神を巡り、侃々諤々やっています(AFさん撮影)。

そこで、まあまあと、Sさんがお菓子を配っています(AFさん撮影)。

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その先で、強い匂いの漂うウツギ(卯の花)の生け垣のあるお宅の前を通りました(Iさん撮影)。

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この辺りは下糟屋宿(しもかすやじゅく)で、往時は賑わっていたようです。黒い板塀のお宅もありました(Nさん撮影)。

さらに先に普済寺(ふさいじ)があります⑧。下は、普済寺の門柱で、前方に本堂が見えます。

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下の写真は、墓園を見ているのではなくて、普済寺の多宝塔の存在を示す説明板を見てるところです。

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下は、多宝塔と大山です。

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ここからは、大山が下のように見えています(AFさん撮影)。

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多宝塔は、伊勢原市指定文化財で。江戸時代後期に蝦夷地に建てられた官寺に赴任して帰ってきた当寺の住職が、建立したものだそうです。下は普済寺の境内です(Nさん撮影)。

下は、この日の2番めの新旧地図です。

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下糟屋で、旧大山街道を少し南に外れ、大慈寺と太田道灌の墓に行きました。

下は大慈寺(だいじじ)で、太田道灌の菩提寺です⑨。太田道灌は室町時代後期の武将で、その後の江戸城のある場所に城を建てた人、ということで名高く、武将としても歌人としても評価の高い人です。道灌は、主君である扇ガ谷上杉定正に謀反を疑われ、定正の糟屋館で殺されました。そのため、この辺りには道灌のお墓が幾つかあります。

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下は、大慈寺の境内です(Nさん撮影)。

下は、大慈寺の近くにある太田道灌の墓です⑩。

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道灌の墓を見た後、旧大山街道へ戻るところです。渋田川の畔です。

下は渋田川です(Nさん撮影)。渋田川の下流は芝桜で有名なところです。

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そこから旧大山街道にもどり高部屋(たかべや)神社に行きました。

下は、高部屋神社の拝殿と本殿です。珍しいことに、拝殿は茅葺屋根になっており、さらに、本殿は拝殿と離れています。

そのため、下の写真のように拝殿の裏側が見えます(Nさん撮影)。

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高部屋神社の拝殿軒下には浦島太郎伝説の彫刻があります(TNさん撮影)。

高部屋神社は、延喜式内社(平安中期の延喜式の細則に書かれている神社)で、歴史はかなり古いようです。

さてここで、全員写真です(Nさんのカメラ)。

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高部屋神社を出て丸山城⑫に向かうとき、国道246号線を跨ぐ陸橋で蛇を見ました。

下は丸山城址で、公園になっています⑫。

そこで、おやつをいただきながら一休みしました。

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同じく、Nさんの撮影です。向こうに見えているのは大山ですが、この時間、雲がかかっていてまりよく見えませんでした。

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休みを取った後、大山街道に戻り、下糟屋の庚申塔に寄りました⑬。

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下は花を愛でるAFさんと庚申塔です(Nさん撮影)。

渋田川に架かる市米橋(いちこめばし)の近くに咳止(せきどめ)地蔵があります⑭。

その昔、この辺りで渋田川を堰き止めて新田開発をしたそうですが、その後、堰が咳に変わり咳止めの地蔵として祀られたということのようです。

そこから更に西に進むと東名があります。東名の下のトンネルをくぐります。

下は今日の三組目の新旧地図です。

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東名を潜ったところに道標がありました⑮(TNさん撮影)。

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下は、上の撮影風景を撮っています。

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その先、千石堰(せんごくぜき 千石堀とも)用水に沿って進みます。

下は、三所石橋(さんじょいしばし)供養塔です⑯。

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周辺は下のようになっています(AFさん撮影)。

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この供養塔は千石堰に架かる三つの橋の供養塔だということです。

下は、洞昌院(どうしょういん)の門柱と本堂です⑰。

洞昌院の境内にはおおきな枝垂れ桜があります。下の写真は、桜を下から見上げています(Iさん撮影)。花の季節には素晴らしいことと思います。

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境内には、小僧さんが掃き掃除をしている像がありました。TSさんがご満悦の様子をNさんが撮っているところをTNさんが撮影しています。

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下は、洞昌院の隣りにある太田道灌の墓です⑱。

Iさんの調査によると、上の写真の傾いた丸い屋根の下にあるのは大きな切り株は、道灌の四十九日の供養に植えられた松だそうです。そうすると、500年以上前の松、ということになります。

下は太田道灌が暗殺されたときに道灌に殉じた7人の従者の塚、七人塚です⑲。

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その先に上粕屋(かみかすや)神社があります⑳。下は鳥居です。

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下は上粕屋神社の境内です。

鐘撞き堂の下で、あーあ疲れた(Nさん撮影)。

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上粕屋神社は、良弁僧正(大山寺を開いた人)の創建との言い伝えの他、日吉(山王)神を勧請した、という説もあるようです。

そこからすぐのところに石倉橋バス停がありました㉑。下はバス停付近の風景です(Iさんの撮影)。大山がもうすぐそこです。

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今日はここまでとし、バスで伊勢原駅に向かい、駅前のレストランでランチとビールを楽しみました。