今回は、小田急小田原線伊勢原駅で集合し、バスで石倉橋バス停まで行き、そこから歩き始めました(2017年6月22日)。上の写真は、大山駅バス停の近くでAFさんが撮った「ようこそ大山」の門です。

下は、今回訪れたところを示す一枚目の地図で、オープンストリートマップを用いています。赤い破線は旧大山街道に近い現在の道、丸数字は訪れた所です。

メンバーの一人TSさんが今朝集合の途中で足を痛めたため、TSさんは大山ケーブルバス停までバスで行きそこで待っててもらうこととし、残りのメンバーは途中の石倉橋バス停で降り、歩き始めました。

バス停前の遺跡発掘現場で発掘の作業中でした①。

その近くに道標があります②。

この道標には、各地からの大山街道が合流する場所だったことが分かる文字が刻まれていたのだそうですが、今は殆ど読めない状態です(Nさん撮影)。

今日は曇りで雲が低く、残念ながら大山がみえません(Nさん撮影)。

下は石倉神社参道です③。

石倉神社の鳥居と拝殿です(TNさん撮影)。

下は比々多神社(ひびたじんじゃ)の鳥居と拝殿です(TNさん撮影)④。

比々多神社の境内入口にある由緒書によると、この神社は、天平(奈良時代前半)の頃、染谷太郎時忠(藤原鎌足の玄孫)が、当国安土・子宝を願い勧請したのだそうです。

その後、拝殿の柱を削って飲むと子宝・安産のご利益があると信じられるようになり、柱が細り何本も取り替えたようです。現在は、削ることが禁止され、下の写真のように柱を覆い、禁止の説明板が掲げられています(Iさん撮影)。

下は今日の2枚めの地図です。

下は、宗源寺入口の道です⑤。

宗源寺の境内です(Iさん撮影)。

庭を掃除中の小僧さんと一緒に、心を掃いています(TNさん撮影)。

宗源寺は小高いところにありますので、そこからの見晴は中々なものです(Nさん撮影)。

少し先へ進むと、地蔵院易住寺(えきおうじ)があります(Iさん撮影)⑥。

易住寺の境内、本堂の前です(TNさん撮影)。

境内の様子をもう少し(Nさん撮影)。

少し前に、比々多神社を書きましたが、ここにもう一つの比々多神社があります(TNさん撮影)⑦。

その先、這子坂(はいこさか)を登ります(Iさん撮影)⑧。這って上がらなければならないほどの急坂だった、ということです。

道端に地蔵尊と水神がありました(Iさん撮影)。

その先、バス道路に出て暫く進むと、諏訪神社があります⑨。下は、諏訪神社の鳥居と境内です(Iさん撮影)。

境内の様子を少し(Iさん撮影)。

下は、阿夫利神社の三の鳥居です(AFさん撮影)⑩。

今日の3枚目の地図です。

下は、鈴川に架かる新玉橋(あらたまばし)です(Nさん撮影)⑪。

いよいよ大山駅バス停です(但し、大山ケーブル乗り場はさらに先です)。ここには「ようこそ大山」の門があります(Iさん撮影)⑫。

このあたりには宿坊(しゅくぼう)や先導師(せんどうし)の看板が沢山あります。宿坊とは先導師(御師 おし)の家で、先導師は大山詣りの信者に宿を提供しました。宿坊は現在も、大山講の人たちに加え、一般客にも宿や食事を提供しています。

揃って記念写真(Nさん撮影)。

加寿美橋(かすみばし)を渡り旧道を進みます(Iさん撮影)⑬。

阿夫利神社の社務局です(TNさん撮影)⑭。

この辺りには滝が沢山現れます。下は愛宕滝(あたごたき)です(TNさん撮影)⑮。

この後、愛宕橋を渡りバス道路に出ます。暫く歩くと良弁滝(ろうべんばし)と開山堂があります⑯。

良弁は、大山を開いた僧正で、その伝承は大山寺縁起絵巻として残っています。それによると、相模国に生まれた良弁が、赤子の時に鷲に拐われ、遠く離れた奈良の都の高い木の上に引っかかっていたのを猿が抱いて降りて来て、覚明という僧に渡し、大事に育てられ、長じて後大山寺を開いた、ということです。

下は開山堂(かいざんどう)です。

説明板によると、開山堂(良弁堂)には、良弁が四十三歳のときの像と猿が金鷲童子(こんじゅどうじ 良弁の幼名)を抱いた像があるのだそうですが、下の写真(TNさん撮影)でみても、よく分かりません。

その横にある良弁滝(ろうべんたき)です(TNさん撮影)。良弁が入山後最初の水行を行ったところだそうです。

下は、葛飾北斎(前北斎為一)の描いた「諸国瀧廻り相州大山ろうべんの瀧」です(神奈川県立歴史博物館のHPから借用)。

下は、歌川国芳の「大山石尊良弁瀧之図」です(神奈川県立図書館のHPから借用)。大山石尊(せきそん)(権現)は大山阿夫利神社のことです。

昔は、大山に登る前に、上の図のように滝で禊をおこなったのだそうです。我々は勿論滝を見るだけです。ところで、どちらの図でも滝の水量は、誇張があったとしても、現在より格段に多かったように見えます。

良弁滝からバス通りを交差すると、豆腐坂です⑰。

何故とうふ坂と呼ばれるのか、下の石碑にかいてあります。

豆腐坂にあるの諏訪神社です。前の方に書いた諏訪神社⑨とは別の神社です。

豆腐坂の最後はこま参道につながります(Iさん撮影)⑱。この近くに大山ケーブルバス停があり、ここで、TSさんと合流しました。

ここから、こま参道です(Iさん撮影)。こま参道には石段が多く、その両側には土産物店や食堂が沢山並んでいます。コマは、金回りが良くなる、ということで江戸時代から人気のおみやげだったようで、現在も大山土産のひとつです。

こま参道の途中で茶湯寺(ちゃとうじ)に寄りました⑲。下は茶湯寺の参道です(Iさん撮影)。

上の写真の階段の先には、お地蔵さんや石造物が並んでいます(Iさん撮影)。

下は茶湯寺の本堂です。

本堂の前にあるわらべ地蔵です(Iさん撮影)。

あれ!一体増えました(Nさん撮影)。

あれ!少し動きました(AFさん撮影)。

こま参道です(Nさん撮影)。

こま参道のある茶屋でお昼とビールにしました。こんな感じです(Nさん撮影)。

最後に、茶屋の若旦那に集合写真を撮ってもらいました(AKさんのカメラ)。

今日はこれで終わりとし、バスで伊勢原駅に戻りました。