前回とは別コースを使い歩きました。今回は、田園都市線の三軒茶屋駅に集合し、三軒茶屋から世田谷通りの大山街道を通り用賀へ、更に二子玉川を抜けて多摩川を越えて二子新地までのコースです(2016年6月15日)。
上の写真は(Iさん撮影)、前回三軒茶屋のキャロットタワーから撮った、丹沢の山並みと富士山で、左端の嶺が目指す大山です。
下に、この日歩いたコースを地図に示します。3つに分けた最初です。現在の地図(オープンストリートマップ使用)と明治時代後半の頃の地図(「今昔マップon the web」使用)があります。
前回は、三軒茶屋から南西に向かう246号線に沿った大山街道(新町線)でしたが、今回は、三軒茶屋から西へ向かう上町線です。
三軒茶屋駅を出発し最初に寄ったのは環七通りにある駒留八幡神社です①。下の写真は、一の鳥居、二の鳥居、本殿です。この神社は、当地の領主であった北条左近太郎入道成願が1308年に造営したものと伝わっています。その後、世田谷城主吉良頼康が、その子を祀り若宮八幡と称されるようになりました。また母常盤(後述)を辨財天として祀ったといいます。
その先へ少し進むと常磐塚があります②。常磐とは上の駒留八幡神社の項で出てきた女性ですが、常磐塚のよこにある説明碑によると、領主吉良頼康の寵愛を受けたため他の側室の恨みを買い無実の罪を着せられ自害し、そのときにお腹の中にいた子と共に世をさりました。後日冤罪を知った頼康がその子を上の駒留八幡神社に祀った、と云うお話が残っているのだそうです。
さらに西に進むと松陰神社の入口がありますが、その参詣は後日にまわすことにして先へ進みました。この先にあるのは大吉寺です③。大吉寺は作家の寺内大吉が住職なのだそうで、下は、大吉寺の参道と本堂です。Iさんの情報によると、大吉寺にはマリリンモンローの碑でもあるのかと思い調べたら、戒名を付けて法要を行っただけで何の名残も無いらしい、ということでした。
その先に、圓光院があります④。圓光院の門柱と本堂です。
圓光院の北側に豪徳寺がありますが、こちらは別の機会に回しました。
次いで、ボロ市通りに面して、代官屋敷があります⑤。
ここには、彦根藩世田谷領の代官大場氏の住宅や世田谷区の郷土資料館ががあり、更に、大山街道の道標や富士講の石碑などが置かれています。
下は次の地図です。
先へ進むと、代官屋敷にあった道標はここから移したもの、と記してある石碑があります⑥。
そこから真っ直ぐ進むと、大山道児童公園⑦に大山街道旅人の像がありました。旅人が一服している風情で、我々もここで一休みしました。
ここから道を挟んだ反対側に、かつて世田谷八幡宮(現在世田谷区宮坂にある世田谷八幡宮とは異なります)が存在したことを示す八幡祠があります。下の写真です。この裏側には大きなマンションがあり、かつてはこのマンションの敷地が八幡宮の境内だったものと思われます。この八幡宮の経緯についてはこちらを見てください。
ここから更に進むと、大山街道新町線と合流点、用賀追分に至ります⑧。
合流点から少し進むと用賀駅です。ここでメンバーの一人が合流しました。
下は次の地図です。
用賀駅を越えて進むと、延命地蔵があります⑨。ここで道は二股になっており、今回は西側のルートを進みます。
下は大空閣寺の本堂と門柱です⑩。
下は、大空閣寺の境内の様子です(Aさん撮影)。
下は慈眼寺の山門と本堂です⑪。
その横に瀬田玉川神社があります⑫。下は本殿です。
横の参道から入り本殿で拝礼し正面の参道から出ました。
その先少し南へ進むと、次大夫堀(現在の丸子川)にかかる次大夫橋⑬があります。
砧線(きぬたせん)跡です⑭(Iさん撮影)。砧線とは、かつて存在した、現在の田園都市線とも、大井町線とも異なる支線で、砂利運搬のために1924年に営業開始した線なのだそうです。開業当時の駅は二子玉川園~中耕地~吉沢~本郷~砧本村で、下の写真に駅名が見えます。
多摩川堤通りに出たところでコンビニ弁当を買い、メンバーの一人である都留さんの家で昼食とさせてもらいました。都留さん、ありがとうございました。
食後、二子の渡し跡⑮に寄ってきました。今は、碑があるだけです。
その後、二子橋を渡り、二子新地の岡本花子の文学碑⑯を見てきました。
下は、その横にある二子神社⑰です。本殿と、一の鳥居、二の鳥居です。
以上、この日はかなりの歩数になりましたが、全員無事踏破し、二子新地駅で解散しました。
怪人230号
こちらの道の方が前回の道に較べて落ち着いていて良いですね。
246号沿いはあまりに雑然として落ち着きません。ボロ市のころに行くのもまたよい様に思います。
大吉寺にマリリンモンローの碑でもあるのかと思いましたら、戒名を付けて法要を行っただけで何の名残も無いそうです。残念でした。
arukoyo
こちらは、見るところもいろいろありましたしね。
マリリン・モンローの法要は勝手に行ったのですか?それとも、何か縁があってのことなのでしょうか。