今回は、湯島から上野公園を散策し、谷中方面に向かいました(2017年10月10日)。上の写真は、不忍池の蓮池です(Iさん撮影)。

下の地図は、この日訪ねた所を丸数字で表しています(オープンストリートマップを利用)。

この日は、千代田線湯島駅で集合し、男坂の階段の道を通り湯島天神に向かいました①。下は、階段の下にある心城院です。

そのすぐ先に、男坂があります。七五三でお参りに来た親子連れがいました(Iさん撮影)。

湯島天神(湯島天満宮)の拝殿です。湯島天神は458年創建ということですのでものすごく古い歴史を持っています。菅原道真を祭るようになったのは14世紀だそうです。

下の写真は鳥居です。奥に見えているのが拝殿です。

下は、境内の様子です(Iさん撮影)。

夫婦坂を下りました。

そこから、不忍池に向かいました。下は不忍池の蓮池です(Iさん撮影)②。

上野公園の周辺は昔は、寛永寺の寺域でした。寛永寺は幕府の命を受け、天海大僧正が、創建したものです。東の比叡山という意味で山号を東叡山、寛永の年号をとり寺号を寛永寺としました。不忍池は琵琶湖に擬せられています。

池の中の小径を通り、弁天堂に出ました(Iさん撮影)③。

下は、清水観音堂です(Iさん撮影)④。これは、京都の清水寺を模したお堂です。

歌川広重は、名所江戸百景「上野清水堂不忍池」で、清水観音堂を下のように描いています。上の清水観音堂の右側から手前(不忍池側)を見た絵のようです。

清水観音堂の少し東側に彰義隊の墓があります(Iさん撮影)。

彰義隊は、明治維新の際、幕府側の徹底抗戦を主張して上野戦争で戦ったものの官軍に敗れた部隊です。そのとき、寛永寺はほとんどが燃えてしまい、その跡地が上野公園となっています。

上の墓の少し南にある西郷隆盛の像です。ここで、西郷さんはどこを見ているのかという話題が持ち上がりましたが、真相は?

下は、王仁博士の碑です(Iさん撮影)。王仁博士とは、千字文と論語を伝えたと記紀等に書かれている伝承上の人物です。

下は、摺鉢山(古墳跡)です⑤。清水堂は元はこの辺りにあったようです。

下は、花園稲荷神社の鳥居と本殿です(Iさん撮影)⑥。

下は、五条天神です(Iさん撮影)。

下は、江戸時代初期に作られた時の鐘です。江戸時代、庶民に時間を知らせるための手段でした。

下の写真の上側にパゴタ(仏塔)と大仏の顔があります(Iさん撮影)。

上野大仏です。地震や火災のため首が落ち、現在は顔だけが保存されているのだそうです。もうこれ以上落ちない、ということで、受験生に人気があるようです。

パゴダです(Iさん撮影)。

上野東照宮の鳥居と参道です(Iさん撮影)⑦。東照宮は、徳川家康を祀る神社で、日光や久能山その他にあるのだそうです。

東照宮唐門の前で全員写真です。真ん中にもう一人いたようですが、消えてしまいました。唐門の向こう側が拝殿です。

野口英世の像です⑧

寛永寺開山堂(両大師)の山門です⑨。現在は、輪王寺です。天海(慈眼大師)と良源(慈恵大師)を祀っているので「両大師」と呼ばれるのだそうです。

本堂です(Iさん撮影)。

本堂横に大賀ハスがあります(Iさん撮影)。

その東側にある寛永寺の旧本坊表門(黒門)です。東京国立博物館の敷地にあった本堂の山門だったものを、現在の場所(輪王寺)に移したものです。

旧因州池田屋敷表門です(Iさん撮影)⑩。

京成電鉄の博物館動物園駅跡です(Iさん撮影)⑪。現在もこの下を京成電鉄が走っており、これはかつての地上口だったそうです。

黒田記念館です(Iさん撮影)。

現在の東叡山寛永寺の山門です(Iさん撮影)⑫。

根本中央(本堂)です。

下は、浄名院の山門です(Iさん撮影)⑬。浄名院は元寛永寺の塔頭で、境内に84000体の地蔵があるそうです。

本堂です。

地蔵群の一部です(Iさん撮影)。

下は大雄寺の山門と本堂です⑬。

大雄寺には下のような大楠があります(Iさん撮影)。

谷中ビヤホールでランチにしました(Iさん撮影)⑮。

ランチの後、千駄木駅に向かう帰路の途中、全生庵に寄りました(⑯の矢印の先)。このお寺には山岡鉄舟の墓があります(Iさん撮影)。

このお寺には金色の大きな観音像があります。その下で、Tさんが観音さまについて薀蓄を語ったのですが、難しすぎたため誰も聞いてあげませんでした。失礼しました。