今回は、茅場町駅で集合し、霊岸島、築地などを歩きました。タイトルは赤穂浪士の道としてありますが、そこから少し離れたところも散策しています(2018年1月15日)。上の写真は、街歩き途中の、亀島橋西詰にある堀部安兵衛の碑の前での風景です。

下は、今回のルートを示す地図で、オープンストリートマップを用いています。赤い破線は、人文社の江戸東京散歩に従った、赤穂浪士の辿った道です。

下は、茅場町駅の9番出口を出て歩き始めたところです(Nさん撮影)。

ここには写真のような宝井其角の住居跡の碑があります。

そこから北へ少し移動すると、日枝神社の日本橋摂社があります。赤坂の日枝神社の御旅所だった神社です。下は鳥居です(Nさん撮影)①。

下は境内と拝殿の様子です。

境内のお稲荷さんです。

ここから東へ向かい霊岸橋を渡り②、霊岸島に入ります。

きれいなデザインの仕切りがありました(Nさん撮影)。

霊岸橋で、老夫婦(我々と同世代か)に道を尋ねられ、Iさんが地図を使って説明しました。

さらに、下の河村瑞賢の屋敷跡の説明板を見ながら先へ進みます(Iさん撮影)③。

下は、新川大神宮です(Iさん撮影)④。

下は、境内にあったアオキです(Iさん撮影)。

下は、参道にて。

下は、越前堀児童公園です(Nさん撮影)⑤。

ここに越前堀跡の説明板があります。

上の説明板には越前堀のことが書かれていました。江戸時代にはいたるところに濠や川がありましたが、現在は、大部分が埋め立てられ、一部は公園、高速道路になっています。

この先に、越前堀の石がどのように組まれたかという説明板が当時の石と一緒に置かれていました。下の写真です(Iさん撮影)。

霊岸島の由来の説明もありました。

下は、於岩稲荷田宮神社です⑥。

下は田宮神社の鳥居と拝殿です(Iさん撮影)。

下は、お岩さんとこの神社の関係を調べているところです。田宮家というのはお岩さんの実家で、実際のお岩さんは世に伝わるお話とは全く異なり、夫とは仲睦まじい生活を送ったのだそうですね。

下はお岩稲荷です(Iさん撮影)。

その後、亀島橋を渡ります⑦(Nさん撮影)。

橋を渡った所に堀部安兵衛の碑がありました。

下はその碑です(Iさん撮影)。安兵衛はここに住んでいたことがあるとのことです。

信号を渡り安兵衛の碑の向かい側に進みます(Nさん撮影)。

下のように、銀座の柳四世、芭蕉の句碑、写楽の説明板などが置かれていました。

さあ、先へ進みましょう(Nさん撮影)。

次に、高橋を渡り霊岸島を出ます(Iさん撮影)。

下は、鉄砲洲稲荷神社です⑧。

下は、拝殿です(Nさん撮影)。

富士塚がありました(Iさん撮影)。

現在、富士塚は登山禁止ですが、回りを一周すると何かいいことがあるそうな。

そこから築地川公園の脇の道を進み、浅野内匠頭の上屋敷跡に行きました⑨。赤穂浪士もこの前を通ったようですが、その時既に赤穂藩は取り潰しとなっています。

下は説明板です。

下は、芥川龍之介生誕の地です。

下は説明板です(Nさん撮影)。

下は工学院大学発祥の地の碑です⑩。

その後、築地場外市場に行き⑪、海鮮丼とビールで豪華なランチをいただきました(Nさん撮影)。

十分に満足したところで、ウオーキング再開です(Nさん撮影)。

波除稲荷神社を訪れました(Iさん撮影)⑫の矢印の先。

鳥居をくぐると左右に大獅子が置かれています。お歯黒獅子と厄除天井大獅子です。

下は拝殿です。

ここには様々な塚が置かれています(Iさん撮影)。

さすが築地の神社です。海の七福神がいました(Iさん撮影)。

歴史散歩はここで終わりとし、この後は築地場外市場で食べ歩きをし、お土産を買うことにしました。

さてどこへ行きましょうか(Nさん撮影)。

築地場外市場の様子です(Nさん撮影)。

今日はここまでとし、地下鉄駅に向かいました。お疲れ様でした。