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江戸城とお濠, 紅葉

江戸城お濠巡り1 田安門~半蔵門~桜田門~大手門(2016/12/5)

皇居内濠を歩いてきました(2016年12月5日)。下の地図では、この日訪ねた所を丸数字で表しています(今昔マップ3のオープンストリートマップを利用)。

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地下鉄半蔵門線九段下駅(靖国通り)で集合し、田安門(たやすもん)へ向かいました。

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下の写真は田安門です①。ここから北の丸公園に入ります。

田安門は、下の写真の正面にある高麗門(こうらいもん)とそれに直交する渡櫓門(わたりやぐらもん)を持つ桝形門(ますがたもん)です。

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下は渡櫓門(内側の門)です。田安門は江戸城で現存する最も古い門だそうで、国の重要文化財に指定されています。

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この先に北の丸公園が広がっています②。下は、Iさんの撮影です。

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AFさんの撮影です。吉田元首相の銅像もあります。

清水門(しみずもん)です③(Iさん撮影)。清水門も、昔の高麗門や櫓がよく残っており、国の重要文化財です。

清水門から、もと来た道を少し戻り、北桔橋門(きたはねばしもん)、乾門(いぬいもん)を通り、その先、代官町通り(だいかんまちどおり)を進みました(TNさんとIさんの撮影)。

北桔橋門は皇居東御苑に入ることのできる門ですが、この日は皇居東御苑が非公開の曜日でした。

下は、近代美術館工芸館です(Iさんの撮影)。

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千鳥ヶ淵に出て、千鳥ヶ淵公園を通ります⑤(TNさんの撮影)。

内堀通りを挟み千鳥ヶ淵公園の反対側に英国大使館があります(AFさんの撮影)。

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下は、半蔵門です⑥。正面の写真と、半蔵門の南側から北側から撮った写真です。

半蔵門の内側は吹上御苑と呼ばれ、御所などがあり、皇族方はこの門又は乾門を使い出入りするそうです。

下の錦絵は広重の名所江戸百景「糀町一丁目山王祭ねり込」(Wikipediaより)です。半蔵門の南側から半蔵門を見ています。下の写真の右上の写真が錦絵と同じアングルです。右下の写真は半蔵門側から南を向いて見たお濠です(錦絵の向こう側から手前を見ていることになります)(TNさんの撮影)。

半蔵門の外側は真っ直ぐ甲州街道になっています。なお、半蔵門の名前は、この門を警護した服部半蔵に由来する、という説が有力なようです。

半蔵門のあたりで見たオオバンとダイサギです。

江戸城跡の碑があります⑦。特別史跡とありますが、これは日本には61箇所しかないそうです。

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柳の井(やなぎのい)が見えました⑧。枝を剪定されているのが柳で、その木の手前に四角い井戸の跡と思われる石組みがあります。昔は良質な水が出た、ということです。

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桜田門に近づいたところで北西の方向に振り返ると、昔は、下の広重の錦絵、名所江戸百景「外桜田弁慶堀糀町」のように見えたようです。弁慶堀というのは今の桜田堀のことです。現在の様子は錦絵の下の写真です(AFさん撮影)。錦絵の中の赤い門のある屋敷は近江彦根藩井伊家の上屋敷で、現在は国会前庭です。その手前の三本のつるべの見えているのが「桜の井」です。そこから土手の通りを先に進むと上に書いた「柳の井」が見えます。井伊家の上屋敷の右奥に見えるのは三河田原(みかわたはら)藩三宅家の上屋敷です。渡辺崋山が仕えていた三宅家のことで、華山はこの屋敷で生まれたようです。

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下は、桜田門の西側から桜田堀を見た写真です(AFさん撮影)。

下の写真は桜田門です⑨(AFさん撮影)。現在、石垣を補修中ということで、一部、工事の囲いがありました。桜田門は、正式には外桜田門(そとさくらだもん)といい、ちなみに、内桜田門(うちさくらだもん)は桔梗門(ききょうもん)のことで皇居東御苑の出入り口です。桜田門は、1860年に大老井伊直弼がこの門を出たとろこで暗殺された事件があったため、最も有名な門の一つになりました。

桜田門をくぐり、皇居外苑を少し東へ進み内堀通りに出たところに、凱旋濠(がいせんぼり)を渡る祝田橋(いわいだばし)があります。祝田橋は江戸時代には存在せず、明治時代に日露戦争の勝利の凱旋パレードを行うために作られたのだそうです。

祝田橋を越えると日比谷公園です⑩。

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日比谷公園の東端にある日比谷門(日比谷見附)跡です(Iさん撮影)⑪。心字池(しんじいけ)を西側に見下ろす形で石垣が残っています。

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見附跡の紅葉を一挙公開します。写真をまとめてタイル状に表示していますが、クリックすると1枚ずつ見ることができます。

先ず、Iさん撮影の写真です。

TNさんの撮影です。

AFさん撮影です。

心字池で見たカワセミとコサギです。

日比谷門跡の西側に、「伊達政宗終焉の地」という説明板があります。参勤で江戸に来たときに亡くなったようです。江戸初期の古地図を見ると、この辺りは松平陸奥守(伊達家)となっており、なるほどと納得できます。なお、江戸末期の古地図では、ここは御用屋敷(幕府公用の屋敷)と松平肥前守(鍋島家)の屋敷になっています。江戸時代は、外様大名も本姓として松平を名乗ることが多かったのだそうです。

日比谷公園でテラスのあるレストランに入り、美味しいランチとビールを楽しみました(AFさん撮影)。

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ランチの後、馬場先門に向かいました⑫。江戸時代の馬場先門は長い木の太鼓橋だったそうで、現在の橋は日露戦争の際に作られたものです。

お濠の向こう側に見えたコブハクチョウとホシハジロです。

下の左の写真は現在の和田倉門で⑬です。

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下の写真⑭で、中央右側に見えるのは桜田二重櫓(巽櫓 たつみやぐら)で、中央僅か左に見えるのは桔梗門(ききょうもん 内桜田門ともいう)です。

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下は、保存されている和田倉門の渡櫓門(わたりやぐらもん)の石垣です⑮。

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下の写真は大手門です⑯(AFさんの撮影)。

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大手門とは、城の正面玄関を意味し、大名達の多くはこの門を使いました。しかし、門の中には限られた人しか入れず、他のお供の家臣は大手門の前で主人の帰りを待ちました。そのため、大手門の前は広場になっていたようです。

江戸時代後期の楊洲周延 (ようしゅう ちかのぶ)作になる千代田之御表(ちよだのおんおもて)の1枚に大手門で待つ家臣を描いた絵があります。高麗門と櫓門が上の写真と同じように見えています。

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今日はここで終わりです。ここから大手町駅へ向かい解散しました。

2 コメント

  1. ボケモン230号

    好企画ありがとうございます。皇居のお堀に落ちないで無事帰れました。次は皇居の中が良いですね。一般参観を申し込みましょう。勤労奉仕は15名以上の団体ですので当面集めいるのが難しそうですね。

    • 皇居の中は、春になったら、としましょうか。
      外堀もいろいろと楽しめそうですよ。

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