今回は、谷中霊園、谷中、西日暮里を散策しました(2017年11月14日)。上の写真は、本行寺での一コマです。

下の地図は、この日訪ねた所を丸数字で表しています(オープンストリートマップを利用)。緑色の楕円は谷中霊園です。

この日は、日暮里(にっぽり)駅に集合し、先ず、天王寺を訪ねました①。

下は、天王寺山門です。天王寺は元は日蓮宗で感応寺と呼ばれていましたが、江戸時代に天台宗に改宗し、その後、天王寺と名前を変えたそうです。

天王寺の本堂です(Iさん撮影)。写真左側は天王寺大仏です。

下は客殿です(Iさん撮影)。

毘沙門堂です。

天王寺を出て、谷中(やなか)霊園の桜通りを進むと、天王寺の五重塔跡があります②。下は、五重塔跡の前です。平日にもかかわらず、大勢の人が歩いています。

ここが五重塔跡の広場です。

五重塔跡の碑です(Iさん撮影)。

この後しばらく、谷中霊園で墓マイラーをしました。その時の写真をスライドショーにしてみました(Iさん撮影)③。

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谷中霊園を出て、長安寺を訪ねました④(Iさん撮影)。ここには狩野芳崖(かのうほうがい)の墓と板碑がある、という説明板を見ているところです。

下は板碑(写真中央)と羅漢さん?かと思います。

狩野芳崖の墓です。

その後、笠森稲荷(かさもりいなり)へ行きました。江戸三大美人の一人お仙にかかわるお稲荷さんだそうで、功徳林寺(くどくりんじ)の境内にあります⑤。

下は笠森稲荷です(Iさん撮影)。

笠森稲荷とお仙の説明は下にあります。

次に、観音寺の築地塀(ついじべい)を見ました⑥(Iさん撮影)。土と瓦を交互に重ねた珍しい土塀なのだそうで、文化庁の登録有形文化財です。

下は観音寺の山門です(Iさん撮影)。

観音寺の本堂です。

下は岡倉天心記念公園です⑦。岡倉天心宅跡で、旧前期日本美術院跡でもあります。

六角堂があります(Iさん撮影)。

下は宗林寺(そうりんじ)で、はぎ寺とも呼ばれています⑧。境内の広い範囲に萩が植えられています(Iさん撮影)。

本堂です(Iさん撮影)。

下は長安寺です(Iさん撮影)⑨。葬儀が行われているようでしたので、境内に入るのは遠慮しました。

この後、谷中銀座でランチにしました。下の写真の先に見える階段が、谷中銀座の夕やけだんだん、だと思います⑩。

美味しいランチとビールを頂いた後、北に向かい街歩きを再開しました。

下は、南泉寺(なんせんじ)です⑪。

下は南泉寺の本堂です。

下は、修性院(しゅうせいいん)ですが、現在工事中でした⑫。

修性院の壁はピンクのきれいな色に塗られており、下のような可愛い布袋さんのタイルが埋め込まれています(Iさん撮影)。

下は清雲寺で、花見寺とも呼ばれています。滝沢馬琴の筆塚があります。

清雲寺の本堂です。

滝沢馬琴筆塚です(Iさん撮影)。

この後、道灌山通りを渡り、ひぐらし坂を歩いてみました⑪。ここは道灌山に登る道ということになります。

下は、ひぐらし坂を上りきったところでJR(山手線他)を見下ろしている写真です(Iさん撮影)

その後、南側の西日暮里公園⑫に行く途中歩道橋を渡りますが、その間は、下の写真のような深い切り通し(道灌山通り)になっています。

下は、上の歩道橋を渡った向こう側の西日暮里公園です⑫。ここから南の台地は諏訪台と呼ばれるようです。

この辺り一帯は日暮の里(ひぐらしのさと)と呼ばれ、ここには、その周辺を説明するパネルが置かれています。

上のパネルや他のパネルには、道灌山は、上野から飛鳥山(あすかやま)に至る台地の一部で、景色がよく日暮の里(ひぐらしのさと)と呼ばれていたこと、いろいろな時代の文人に愛されたこと、河川を使った運輸の目印になったこと、縄文時代の遺跡があること、などが書かれています。

西日暮里公園の少し南に第一日暮里小学校があり、そこに、高村光太郎の書による「正直親切」と描かれた記念碑があります(Iさん撮影)。

下は諏方神社(すわじんじゃ)の鳥居です⑯(Iさん撮影)。

正面の鳥居と拝殿です(Iさん撮影)。

下は、浄光寺(じょうこうじ 雪見寺とも呼ばれる)の山門です。

浄光寺の本堂です。

山門の横に銅製地蔵があり江戸六地蔵の一つだそうです。

浄光寺の辺りに、富士見坂があります。最近まで富士が見えたようですが、現在は見えません。

下は、養福寺(ようふくじ)です⑱(Iさん撮影)。

養福寺の二王門です。

養福寺の本堂です(Iさん撮影)。

下は、経王寺(きょうおうじ)の山門です。

本堂です(Iさん撮影)。

なお、山門には、上野戦争の時の銃弾の跡が残っています。

次は、延命院(えんめいいん)です(Iさん撮影)⑳。

門柱を抜けてすぐ右に、大椎(おおしい)があります(Iさん撮影)。

延命院の本堂です(Iさん撮影)。

次は、本行寺(ほんぎょうじ)で、月見寺とも呼ばれています㉑。下は、山門です(Iさん撮影)。

ここには、種田山頭火の自由律の句碑があります。

小林一茶の句碑もあります。

ここには、また、太田道灌が築いたという斥候のための物見塚があったことを示す、道灌丘碑というものがあります(Iさん撮影)。

この日の街歩きはここまでとし、日暮里駅に向かいました。