今回は、日比谷線三ノ輪駅で集合し、竜泉、根岸を中心に歩きました(2018年4月9日)。上の写真は、街歩き途中の風景です。
下は、今回のルートを示す地図で、オープンストリートマップを用いています。
日比谷線三ノ輪駅出口で集合し歩き始めました。今回の散策は、下谷七福神を訪ねる歩きでもあります。
先ずは寿永寺です①。下谷七福神の布袋尊です。
上の写真の扉を開けて入った所、本堂の前です。
二体の布袋様です(Nさん撮影)。
本堂はこのようにモダンな建物です(Iさん撮影)。
下は、千束稲荷(せんぞくいなり)です②(Iさん撮影)。樋口一葉の「たけくらべ」のお祭りは千束稲荷のお祭りです。
千束稲荷の拝殿です(Iさん撮影)。
境内の樋口一葉の碑です。
一葉の像と五千円札を比べています(Iさん撮影)。ちょっと雰囲気が違っていますね。
上の写真はこんなふうに撮しています(Nさん撮影)。
下は、一葉記念館と一葉記念公園です③(Iさん撮影)。この日は月曜日で一葉記念館はお休みでした。
公園内に一葉の碑があります、
もう一つの碑です(Iさん撮影)。
保育園児が鯉のぼりの下を歩いていました(Nさん撮影)。
下は、一葉の旧居跡です④。
下のような碑があります(Iさん撮影)。明治27年夏から10ヶ月程ここに住んでいたとのことです。
下は飛不動(とびふどう)です(Iさん撮影)⑤。のぼりを見ると分かるように、下谷七福神の恵比寿さんです。
飛不動の本堂です(Iさん撮影)。
本堂前にて。
飛不動境内の恵比寿様です(Iさん撮影)。
下は西徳寺(さいとくじ)です⑥(Nさん撮影)。
本堂です(Iさん撮影)。
ここには、中村勘三郎の墓があります(Iさん撮影)。
下は、大音寺です⑦(Iさん撮影)。
大音寺の本堂前です。
大音寺は「たけくらべ」の藤原信如のモデルだろうと言われる加藤正道和尚のお墓があります。
下は正燈寺(しょうとうじ)です⑧。昔はもみじ寺として、品川の海晏寺(かいあんじ)とならぶ有名なお寺だったそうです。江戸の紅葉狩りでは、それを口実に吉原で遊んだ、というお話もあります。
今残っている紅葉です(Iさん撮影)。
下は弁天院です⑨。下谷七福神の弁財天です。
参道に入ったところから撮っています(Nさん撮影)。この橋は弁天池に架かる橋です。現在は小さな池があるだけですが、昔はここに広大な池があったのだそうです。
朝日辨財天です。
この後、昭和通り(国道4号線)を渡り三島神社へ行きました⑩(Iさん撮影)。
三島神社の雷井戸です。(Iさん撮影)。昔、雷様と約束を交わしたことが書かれています。
下は、三島神社境内社の火除稲荷(ひよけいなり)です(Iさん撮影)。
三島神社の境内にて。
拝殿の前で全員写真です(Nさんのカメラ)。
次は安楽寺です⑪。
下は安楽寺の山門です(Iさん撮影)。「不許葷酒肉入山門内」とありますので、Iさんは連日蓄積したアルコールのことが心配なのか、入ることをためらっていました。
下は、そのためらいの様子です(Nさん撮影)。
下は本堂です。
開運子育地蔵の前です。
下は御行の松不動尊です⑫(Iさん撮影)。
ここには、江戸時代に大勢の人々に親しまれた御行の松がありました。現在は、初代の松は枯れ死に切り株としておかれていますが、三代目と四代目の松は健在です。
下は初代の御行の松です(Iさん撮影)。
三代目の御行の松です。
四代目は、下の写真の奥側にある松です。
境内には正岡子規の句碑があります(Iさん撮影)。
下は狸塚(因果塚)です(Iさん撮影)。初代三遊亭円朝の「根岸お行の松 因果塚の由来」にちなみ、洒落で作ったのだそうです。
下は西蔵院です(Iさん撮影)⑬。
本堂です(Iさん撮影)。
西蔵院境内にて。
疲れましたね(Nさん撮影)。
下は円光寺です⑭。藤寺と呼ばれています。
山門の外からも見えますが、見事な藤棚があります(Iさん撮影)。
本殿の前、藤棚の下にて。
ここ迄歩き、お昼もだいぶ過ぎましたので、ランチにしました。
ランチの後、再開です。
下は、ねぎし三平堂の前です⑮(Nさん撮影)。
下は子規庵です⑯。
家の中の様子が少し見えます(Iさん撮影)。
下は豆腐料理店「笹の雪」の前です⑰。
お店の前の正岡子規の句碑です。
陸奥宗光別邸です(Iさん撮影)⑱。洋館の住宅としては都内で最も古いものの一つだそうです。
下は、元三島神社の入口です。
参道入口です(Iさん撮影)⑲。
鳥居です(Iさん撮影)。
拝殿です(Nさん撮影)。
この境内に正岡子規の句碑があります。
この日はここで解散しました。
お疲れ様でした。