今回は、東京メトロ後楽園駅で集合し、小石川周辺を歩いてきました(2019年4月8日)。

下は、今回のルートを示す地図で、グーグルマップを用いています。赤い大きめのマークの 史跡の中から選んで歩きました。

丸ノ内線後楽園駅を出て、小石川後楽園を左に見ながら、牛天神方向に向かいました。この日は朝から雨模様でしたが、歩き始める頃には雨が止みました。

少し歩いて右側を見ると、牛天神の方向がすごい崖になっていました(TNさん撮影)。江戸時代は、こちら側に牛天神の表参道があったようです。

牛天神に行く前に諏訪神社に寄りました。下は、諏訪神社です。

諏訪神社の拝殿です(Iさん撮影)。

下は、牛天神北野神社の参道です(TNさん撮影)。

なかなか厳しい階段があり、それを登りきったところで、大きなおみくじ掛けが目に入ります。その奥に、拝殿と境内社があります。

下は拝殿です(TNさん撮影)。

下は境内です。

境内に置かれた牛石です(Iさん撮影)。ねがい牛や撫で岩などと呼ばれているようです。

下は、牛天神の北側にある牛坂です。

牛坂の説明板です(TNさん撮影)。

下は、萩の舎跡です。

下のような説明板があります(TNさん撮影)。ここに樋口一葉らが通った歌塾があったということです。

今いるところは安藤坂で、その説明板もありました。

下は安藤坂の説明版です(Iさん撮影)。

下は、川口アパートメントです。少し古ぼけていますが、時代の先端をゆく高級マンションとして注目を浴びたのだそうです。

その近くに永井荷風の生育地を示す碑があります。

そこから北に向かうと傳通院が見えてきます。浄土宗の寺院で、浄土宗中興の祖了誉聖冏(りょうよしょうげい)上人が室町時代末期に小石川極楽水に創建され、江戸時代初期に徳川家康公の生母於大の方(法名傳通院殿)の埋葬に際して当地に移して再興されたものだそうです。

下は、傳通院の前にある福聚院です。幼稚園と併設されています。

本堂です(TNさん撮影)。大黒天が祀られているそうです。

入口の横に、とうがらし地蔵と大黒天(本堂に安置されている大黒天とは別)が置かれています(Iさん撮影)。

下は、傳通院の山門です(TNさん撮影)。

本堂です(Iさん撮影)。

傳通院は、徳川家の菩提寺であり、徳川家康の生母於お大の方ゆかりのお寺で、「傳通院」は於大の方の法名からとったのだそうです。下は、於大の方のお墓です。

下は善行寺坂のムクノキです。

下はその説明版です(Iさん撮影)。

その後、慈眼院(じげんいん)澤蔵司(たくぞうす)稲荷へ行きました。下は慈眼院の入り口です(Iさん撮影)。

慈眼院の本堂です。慈眼院は澤蔵司稲荷の別当という関係です。

下は、澤蔵司稲荷です(TNさん撮影)。慈眼院の奥にあります。

下は、浄土宗の善光寺の山門です(Iさん撮影)。昔は、傳通院の塔頭でしたが、明治になって、信州善光寺の分院となって名前を変えました。

下は、本堂です。

下は、曹洞宗の慈照院です。

慈照院の本堂です。

下は光圓寺です。浄土宗の寺院です。

極楽水(ごくらくすい)の跡がこのマンションの庭にあります。極楽水とは、宗慶寺というお寺の境内の湧き水で、名水だったので「極楽水」といわれるようになったのだそうです。

下は、極楽水跡です(Iさん撮影)。

極楽水については、下のような説明版があります(TNさん撮影)。

下は、善仁寺です(TNさん撮影)。浄土宗の寺院です。

山門です(TNさん撮影)。

本堂です(Iさん撮影)。

下は宗慶寺です。浄土宗の寺院で、浄土宗中興の祖と言われる了誉(りょうよ)上人が室町時代に開いた庵が始まりだそうです。上に書いた極楽水は宗慶寺の境内に湧いた水でした。なお、宗慶寺は明治以降移転を繰り返し、昭和時代にこの地に戻ってきたようです。

下は、石川啄木終焉の地歌碑の前です。なお、この碑の近くに、石川啄木顕彰室が作られていました。

これが歌碑です(TNさん撮影)。

播磨坂の桜並木の説明版の前です。

下は、桜並木の様子です(Iさん撮影)。

ここから、白山に向かい、ランチにしました。

ランチの後、白山神社を訪ねました。加賀国の白山比咩神社(しらやまひめじん
じゃ)から勧請したのだそうです。菊理姫命(くくりひめのみこと)、伊弉諾
命(いざなぎのみこと)と伊弉冊命(いざなみのみこと)の三柱が祀られています。

下は、拝殿です。

下は富士塚です(Iさん撮影)。

この日は、ここで解散しました。