江戸城外濠の一部をなす神田川を歩いてきました(2017年6月12日)。お茶の水駅からスタートし、水道橋、小石川橋を通り、少し寄り道して小石川後楽園、茗荷谷の切支丹屋敷跡へ、というコースです。上の写真はお茶の水橋から神田川上流をみた風景です。このあたりの神田川の深さが分かります(Iさん撮影)。

下の地図は、この日訪ねた所を丸数字で表しています(オープンストリートマップを利用)。又、水色の太い破線で神田川を示しています。

この日は、御茶ノ水駅のお茶の水橋側で集合しました(Nさん撮影)。

先ずは、お茶の水碑①に行きました。江戸時代、この側に、チョロチョロ流れる泉があり、この水を飲んだ将軍秀忠が、その味を褒め、お茶に適している、と言ったため、お茶の水はこの辺りの地名になった、ということです。

チョロチョロ出ていた水はこれでしょうか(TNさん撮影)。

下はお茶の水橋から神田川の上流を見た写真です(TNさん撮影)。

お茶の水橋です(TNさん撮影)。

この橋から見ると、お茶の水の辺りで神田川の両岸は切り立った崖のようになっており、人工的に作られた川であることがよく分かります。江戸城ができる前、この辺りは本郷台地の南端で、その西側を平川が流れており、当時海だった大手町、日比谷の辺りに流れ込んでいました。平川は氾濫しやすく江戸城の本丸になる場所の辺りは洪水に悩まされていました。そのため、平川を飯田橋の辺りで向きを東に変え、浅草橋方向に向かうように人工的に神田川を作りました。なお、神田川は、江戸城防衛のための外濠の役割もしています。

さて、ここから、神田川左岸(北側)に渡り神田川を遡ります。

皆さん、まだまだ元気です。

下は神田川上水掛樋(かけひ)跡です②。掛樋とは昔の水道管で、江戸東京博物館にこの模型があるそうです。

碑の正面です(Iさん撮影)。神田上水は江戸最古の水道で、井ノ頭池を水源とし、現在の江戸川橋辺りで取水し、この辺りで神田川をまたいで城中、江戸の東側に上水を供給していました。

その横に、神田川分水路案内図、というのがあり、書いてあることを理解しようと、皆さん真剣に見ています(Nさん撮影)。

神田川です(AFさん撮影)。

そこから少し進むと水道橋です(AFさん撮影)。

橋の袂にレリーフがあります③(Nさん撮影)。

これは、下の江戸名所図会の挿絵を写したものです。正面に大きく横に架かっているのが掛樋です。その下の橋桁の間に小さく見える橋は水道橋です。遠景に富士山が見えています。江戸名所図会の絵はかなり正確ですので、当時は、このように富士山が見えたものと思われます。

水道橋にて。

下は神田川右岸、水道橋の近くにある三崎神社です④(Iさん撮影)。

三崎神社の境内です(Nさん撮影)。

再び神田川左岸に戻ると、下の写真のような市兵衛河岸(いちべえがし)防災船着場跡があります⑤(Iさん撮影)。市兵衛河岸とは、近くにあった説明板によると、河岸とは物資輸送のための施設で、この近くにいた岩瀬市兵衛という人の屋敷があったことで付けた名前で、後には災難時の桟橋として使われたのだそうです。

小石川橋で又神田川を渡ったところで、総武線の下に石積みが残っているのがわずかに見えます(TNさん撮影)⑥。

新三崎橋にて(Nさん撮影)。

新三崎橋の袂には、石垣に使ったのではないかと思われる石が沢山置かれています(AFさん撮影)。

高速道路下には飯田町遺跡周辺の歴史案内板があります(TNさん撮影)。TNさんの解説によると、現在、日本橋川は神田川につながっていますが、これは明治時代以降のことであり、江戸時代には、日本橋川は、堀留橋の辺りからこの辺りまで埋められており、神田川にはつながっていなかった、ということです。

下は総武線の高架で、土台は外濠の土塁だそうです(Nさん撮影)⑦。

その後、小石川後楽園に行きました(Iさん撮影)⑧。

ここは、元は水戸徳川家の上屋敷で、タイミングよく、なんと水戸黄門が助さん格さんを従えていました(Iさん撮影)。

丁度、花菖蒲の季節で、大勢の人が見学していました。我々もバシャバシャ写真を撮りました。

下はTさんの撮影です。

次はIさんの撮影です。

次はNさんの撮影です。

AFさんの撮影です。

下はTNさん撮影の小石川後楽園でのショットです。

Iさん撮影の小石川後楽園です。

Nさん撮影です。

AFさん撮影です。

ここで、全員の集合写真です。

小石川後楽園で弁当を食べました(Nさん撮影)。

十分な休憩を取った後、行動開始し、小石川後楽園の西側にある、江戸城外堀石垣材再利用の石垣を見ました(Nさん撮影)⑨。

そこから暫く歩き、こんな坂を登りながら(Nさん撮影)

小日向の切支丹屋敷跡に着きました(Iさん撮影)⑩。

TNさん撮影の説明板です。

この切支丹屋敷跡で、3体の人骨が出土し、そのうち1体は江戸時代のイタリア人宣教師シドッチ(遠藤周作の小説「沈黙」のロドリゲスのモデル)の可能性が高いと見られているようです。遺骨の発見された場所は下の写真のあたりだそうです(Iさん撮影)。

その後、深光寺(じんこうじ)へ行きました⑪。

ここには滝沢馬琴の墓があります。

熱心に墓を見ています。

どっちが福々しいか(Nさん撮影)。

茗荷谷駅の近くでビールで乾杯し、この日の打ち上げをしました。