今回は、日本橋川の神田橋から外堀の市ヶ谷まで、堀留橋、牛込橋、神楽坂を経由して歩きました(2017年7月3日)。上の写真は牛込見附の枡形の一部です(Nさん撮影)。
下の地図は、この日訪ねた所を丸数字で表しています(オープンストリートマップを利用)。又、水色の太い破線で日本橋川、神田川、外堀を示しています。
この日は、東京メトロの大手町駅の出口で集合し、神田橋から歩き始めました。「江戸城お濠巡り3」では、日本橋川を神田橋まで進んでいましたので、今回はその続き、ということになります。
大手町駅の出口で集合しました(Nさん撮影)。
下は、神田橋です①。
所々に昔の石垣の跡が見えます(Nさん撮影)。
現在、常盤橋門跡の改修工事を行っていますが、神田橋の近くの神田橋公園には、下の写真のように、改修工事で用いる石垣が沢山置かれています。
更に進むと錦橋があります②。
この当たりには石垣が結構残っています(Iさん撮影)。
下は一ツ橋です③(TNさん撮影)。
石垣が残っています(TNさん撮影)。
TNさん撮影です。
下は雉子橋です④。
雉子橋の説明板です(TNさん撮影)。
上の説明板を見ているシーンです。
下は、俎(まないた)橋です(TNさん撮影)⑤。九段坂の下に位置します。
俎橋の袂で。
九段下、靖国神社の方向を向いて撮しています(Nさん撮影)。
滝沢馬琴が南総里見八犬伝を執筆していた頃に済んでいた住居の井戸の跡が、マンションのエントランスにあります⑥(Iさん撮影)。
綺麗に作られていて、井戸の辺りは座って休めるようにもなっています(Iさん撮影)。
更に上流に進むと堀留橋です(TNさん撮影)⑦。江戸時代、現在の日本橋川はこの堀留橋までしかなく、その先の神田川寄りは埋め立てられていた、ということです。
堀留橋を保育園の児童が渡っていました。なお、中央に写っているのは東京理科大発祥の地の碑です(Nさん撮影)。
堀留橋から日本橋川を離れ西へ進むと、目白通りに台所町跡があります(TNさん撮影)⑧。
目白通りを飯田橋方面に向かうと東京大神宮参道への道があります。
東京大神宮です⑨。明治天皇が、伊勢神宮に行かずとも参詣ができるように、天照大神他の神様を祀る神社を作ったのだそうです。下は鳥居と山門です。
ここは若い女性に人気があるらしく、本殿の前に列ができていました。縁結びに御利益があるとのことです。
若い女性の中におっさんが。すごい違和感(Nさん撮影)。
飯田橋駅の西にある牛込橋にきました⑩。
石垣は牛込見附跡です。
神楽坂です(TNさん撮影)⑪。
神楽坂を登り始めます(TNさん撮影)。
神楽坂にある碑によると、神楽坂の名前の由来は、坂の途中にあった高田八幡の御旅所(おたびしょ)で神楽を奏したから、等様々な説があるそうです(Nさん撮影)。
神楽坂の毘沙門天(善国寺)です(TNさん撮影)。
本堂です(TNさん撮影)。
この後、神楽坂の細い路地を楽しみました(Nさん撮影)。
神楽坂下の辺りに、泉鏡花旧居跡、北原白秋旧居跡があります(Iさん撮影)。
神楽坂から外堀通りを南へ進んだところにある船河原町築土(つくど)神社です⑫。千代田区九段にある築土神社と兄弟神社の関係です。
この手前に、子供に無理矢理掘らせた、と伝わっている堀兼(ほりかね)の井があります。
この日は暑い日で疲労も溜まったのでここでお昼にしました。ビールの美味しかったこと。
さて、ランチとビールで力が戻ってきたところで、もう一箇所だけ見て、終わりにしました。
下は、市ヶ谷亀岡(かめがおか)八幡宮です⑬。亀岡八幡宮は、太田道灌が鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請した、ということです。
外堀通りから入るとすぐ急な階段があります。
鳥居です。
狛犬が並んでお出迎えです(Nさん撮影)。
本殿です。若い女性が二人、茅の輪くぐりをしていました。
我々も並んで(Nさん撮影)。
下は境内社の稲荷神社です。眼にご利益があるそうです(Nさん撮影)。
下は、広重の名所江戸百景の「市ヶ谷八幡」です。境内は昔と同じような配置になっているようです。但し、稲荷神社の辺りに赤い塀はあるものの、稲荷神社そのものは見えません。
江戸名所図会によると(下の図)、現在と同じ位置に「いなり」とありますので、広重の絵では木の陰になっていることが分かります。なお、江戸名所図会の絵から、昔は稲荷神社の下に階段があったのですが、今は無い、といことが分かります。
この日は、ここで終了とし地下鉄駅に向かい解散しましたが、Iさんは一人で地下鉄南北線市ヶ谷駅にある江戸歴史散策コーナーを訪れています(Iさん撮影)。下の写真の石垣は、雉子橋付近から移したものだそうです。
下は、Iさんが撮ったこのコーナーの写真です。