今回は、外堀の市ヶ谷から虎ノ門まで歩きました(2017年9月4日)。上の写真は赤坂の日枝神社です(Nさん撮影)。

下の地図は、この日訪ねた所を丸数字で表しています(オープンストリートマップを利用)。又、赤色の太い破線は番町文人通りを示しています。

この日は、東京メトロ南北線の市ヶ谷駅の江戸歴史散歩コーナーで集合しました。「江戸城お濠巡り7」の続きです。

下は市ヶ谷駅の江戸歴史散歩コーナーです①。

参加予定者全員が揃ったところで、地上に出て歩き始めました。下は、市ヶ谷橋の橋台の石垣です②(Iさん撮影)。

ここから、先へ進みます(Tさん撮影)。

石垣の下から見ている写真です(AFさん撮影)。

番町文人通り(ばんちょうぶんじんどおり)に向かう途中、本丸跡の碑が道路脇に在りましたが、何故これがここにあるのかよく分からないとの説明がありました。下の写真です(Tさん撮影)。

東郷坂(とうごうざか)・行人坂(ぎょうにんざか)を通り、番町文人通りへ向かいました(Nさん撮影)。

下は、ローマ法王庁大使館です③(Tさん撮影)。

この辺りは番町文人通り(上のマップの赤い破線の道④)になっています。文人の住居跡が下のようなパネルで紹介されています。

幾つか紹介します(Iさん撮影)。

番町文人通りでの一枚です(Nさん撮影)。

文人通りでもう一枚。

四ツ谷駅に着きました⑤(Nさん撮影)。

四谷見附の枡形跡があります⑤。

四ツ谷駅の南西側は、外濠が埋められ上智大学のグラウンドになっています⑥(Nさん撮影)。

下は、お濠の土手の上を歩いている写真です(AFさん撮影)。

紀尾井ホールの北側に、尾張名古屋藩屋敷跡の碑があります⑦(Iさん撮影)。尾張徳川家の中屋敷跡です。この辺りに紀伊徳川家、井伊家の屋敷があったため、ここは明治になって紀尾井(きおい)町という町名になりました。

紀尾井坂に着きました。下は、喰違(くいちがい)を紀尾井坂側から見ています⑧。江戸時代には喰違門(くいちがいもん)のあったところです。道の向こう側が弁慶堀(べんけいぼり)、紀伊国坂(きのくにざか)です。

紀伊国坂を下り清水谷(しみずだに)に着きました⑨(Nさん撮影)。

下は、清水谷で見たガス灯です(AFさん撮影)。

ここに、清水谷公園があり、中に、大久保利通顕彰碑があります。

この公園には、大きな分水石枡もあります。

ここにはまた、飛び出す壁画がありました(Nさん撮影)。

その他、このように何枚かあります(Tさん撮影)。

下は、今日の2枚めのマップです。

清水谷公園を後にして進み、弁慶堀に架かる弁慶橋を渡り外堀通りに戻ります⑩(Nさん撮影)。

弁慶堀の先の外堀通り周辺は、昔は溜池(ためいけ)という広大な濠でしたが、現在埋め立てられており、池だったことを感じられるものは何もありません。下の歌川広重の名所江戸百景「赤坂桐畑(あかさかきりばたけ)」で当時を偲んでください。

この先に赤坂日枝(ひえ)神社があります⑪。

下は日枝神社の裏参道鳥居です(Iさん撮影)。

今回は、この鳥居は通らず、正面の参道の鳥居をくぐりました。

エレベーターで参道を上がります(Nさん撮影)。

社務所脇をとおり、南神門を抜けると拝殿は間近です(Nさん撮影)。

下は拝殿です(Tさん撮影)。

この神社では、猿が重要な役割を担っているようです(Iさん撮影)。

日枝神社は、囲碁とも何か関係があるのでしょうか。大きな碁盤がありました(AFさん撮影)。

日枝神社の次は、虎ノ門金刀比羅宮へ行きました。

下は金刀比羅神社です⑫。ビルの谷間にあります(Nさん撮影)。

鳥居の正面からは下のように見えます(Iさん撮影)。

金刀比羅神社の拝観を終え、どこでランチにするか検討中です(Nさん撮影)。

このあと、ビールで乾杯し、ランチをいただいた後、解散しました。

上は、この日の解散地点です。

昨冬から江戸城お濠巡りを始め、皇居内、内濠、外濠と一通り巡りました。このシリーズは、ここで終了とします。皆さん、お疲れ様でした。