今回は、京急線北品川駅で集合し、旧東海道の周辺を、青物横丁駅迄歩いてきました(2018年4月26日)。上の写真は品川宿での1枚です。

下は、今回のルートを示す地図で、オープンストリートマップを用いています。赤い破線は旧東海道です。青い破線は江戸時代の海岸線で、水色の破線は江戸時代の目黒川の流れです。赤丸数字で訪問先を示します。

北品川駅で集合し、駅のすぐ南の踏切付近にある磯の清水の碑を見ました①(Iさん撮影)。東海道品川宿入口の碑と並んで置かれています。

京急線の踏切を渡り清水横町(下の写真)を通り旧東海道に出ます。

旧東海道に出ると歩行新宿(かちしんじゅく)の碑があります(Iさん撮影)。八ツ山橋から品川宿に入ったところが歩行新宿と呼ばれたのだそうです。

下は、御殿山に続く大横町です②(AFさんの撮影)。江戸時代は、他の横町よりも広い道だったそうです。

藤沢宿から送られた松です。品川宿を歩くと、東海道の他の宿から送られた松が多数見つかります。

下は、善福寺山門です(AFさん撮影)③。

下は善福寺の本堂です。

本堂正面の左上に漆喰鏝絵(しっくいこてえ)が見えます(Nさん撮影)。

右側の部分です(Nさん撮影)。

下は台場跡です④。御殿山下砲台(台場)跡で、この台場は御殿山を削りその土をここまで運んで来て作ったのだそうです。

下のような説明板があります(Iさん撮影)。

下は、明治に入り、第二台場の灯台を模したものだそうです(Iさん撮影)。

下は、法善寺です(Iさん撮影)⑤。

法禅寺境内の布袋さんです(AFさん撮影)。

本堂と大イチョウです(AFさん撮影)。イチョウの推定年齢は350~400年だそうです。

悲惨な生涯を送ったお春さんを祀る於春稲荷(おはるいなり)です。

於春稲荷の前で撮っています(Nさん撮影)。

下は養願寺です⑥(Nさん撮影)。虚空蔵菩薩が本尊で、そのため、養願寺に至る道を虚空蔵横町と呼ぶそうです。

養願寺境内にて。

旧東海道に出ると、そこに一心寺があります(Iさん撮影)。

一心寺の本堂です。不動明王が本尊です。

下は、虚空蔵横町の碑です(Iさん撮影)。

竹屋横町です。

竹屋横町の説明板です(Iさん撮影)。

品川宿本陣跡入口です⑦。本陣は、大名行列や、武士、公家等の宿泊所、休息所でした。

本陣跡の説明板です。

ここは聖蹟公園で、下のように、明治天皇の明治元年の東京行幸の際の碑も置かれています。

下は、その左右の碑群です。

下は、寄木神社です⑧。裏から入ります(Nさん撮影)。

寄木神社の鳥居です(Iさん撮影)。

拝殿前です。

拝殿の中を見せていただきました。下は本殿で、扉の両側が鏝絵になっており、左が天照大神(あまてらすおおみかみ)と天宇受売命(あめのうずめのみこと)で、右は猿田彦命(さるたひこのみこと)だそうです。

拝殿には、海苔の採取風景のジオラマ(ミニチュア)などが展示されています(Iさん撮影)。

下は、この後訪れる浦高札に掲げられていた銘文だそうです(Iさん撮影)。不法な船舶を取り締まる御定書です。

その後、目黒川に出ました。

そして旧東海道に戻りました。下は目黒川に架かる品川橋です(Iさん撮影)⑫。

Iさんの撮影です。

品川橋は、下のような小さな公園になっています(Iさん撮影)。

品川橋から少し上流へ向かいます。下の写真は鎮守橋で橋の向こう側は荏原神社です⑨。現在、目黒川はここを流れていますが、江戸時代には、目黒川は荏原神社の裏側を流れていました。

下は荏原神社です⑨(Iさん撮影)。江戸時代は貴船神社(きふねじんじゃ)と呼ばれ、雨乞いのご利益があったそうです。

鳥居です(Iさん撮影)。

拝殿です(Iさん撮影)。素盞嗚命(すさのおのみこと)が祀られており、南の牛頭天王と呼ばれたのだそうです(品川神社が北の牛頭天王です)。

屋根から龍が顔を出しています(Iさん撮影)。

稼しょく神社です⑩。拝殿の前に大きな銀杏があります。イチョウの推定年齢は5~600年だそうです。

下は海徳寺です⑪。目黒川の南側にあります。裏門から入りました(Nさん撮影)。

境内の内側から撮るとこうなります。

下が海徳寺の表門です(Iさん撮影)。

本堂です(Iさん撮影)。

海徳寺には、元巨人軍の王選手のファンだった少年のお墓(ホームラン地蔵とよばれるらしい)があります(AFさん撮影)。

ホームラン地蔵を見ている一コマです。

旧東海道に出たところに、南品川宿の碑があります(AFさん撮影)。

品川橋の少し東側に百足河岸(むかでかし)の碑があります(Nさん撮影)。

皆さん、下の説明版を見ています(Iさん撮影)。

更にその少し東に浦高札場(うらこうさつば)跡があります。

旧東海道を少し進むと、浜松宿の松があります(AFさん撮影)。

下は問屋場跡です。写真中央に問屋場跡のパネルがあります。昔よく読んでいたジョージ秋山のマンガ「浮浪雲」の舞台だったそうです。

下は、三岳稲荷神社です。

拝殿です。

下は三島宿の松です⑭。

下は常行寺です(Iさん撮影)⑮。

本堂です。

下は、旧東海道の東側の波打ち際の古い石垣のようです(Iさんの撮影)。

次は長徳寺です(Nさん撮影)⑯.

下は長徳寺の山門です(Iさん撮影)⑯。

本堂です(Iさん撮影)。

本堂の隣に閻魔堂があり、その中を覗いている輩がいます。

ここにもいます(Nさん撮影)。

恐ろしい顔の閻魔様がいたそうです(Iさん撮影)。

閻魔様のクローズアップです(Iさん撮影)。

下は袋井宿の松です。

天妙国寺です⑰(Iさん撮影)。

山門です(Iさん撮影)。

山門をくぐっています(Nさん撮影)。

本堂です。

境内にて。皆、何を見てるんだろう。

あぁ、これか。

境内に、昔は五重塔があったそうで、下の写真は、その礎石です。

下は、真了寺です⑱。象の像がある、変わった山門です(AFさん撮影)。ペット霊園として有名なのだそうです。

本堂もモダンです。

本堂にて(Nさん撮影)。

下は諏方神社です⑲(Iさん撮影)。

鳥居と拝殿です(Iさん撮影)。

今日は、ここでランチにしました。オムレツ派とパスタ派に分かれました(Iさん撮影)。

ビールとランチで休んだ後、もう少し歩きました。

下は、亀山宿の松です(AFさん撮影)。

関宿の松です(AFさん撮影)。

下は品川寺です(Iさん撮影)⑳。左にあるのは江戸六地蔵だそうです。

本堂の前の大イチョウです。

品川寺の釣り鐘は「洋行帰りの鐘」として有名なのだそうです。1867年のパリ万博で展示され、その後日本に帰る途中行方不明になっていたのですが、その後、ジュネーブの博物館にあることがわかり、昭和になって返還されたのだそうです(Iさん撮影)。

下は海雲寺です㉑。

下は、千躰荒神堂(せんたいこうじんどう)です(Iさん撮影)。

千躰荒神堂の内側です(Nさん撮影)。

中におられる千躰荒神は台所の神様だそうで、下のような姿をしています。不動明王に何となく似ていると思ったら、不動明王の垂迹といわれているのだそうです。

境内にて(AFさん撮影)。

この日は、ここでおしまいにしました。お疲れ様でした。