今回の東海道歩きでは、JR保土ヶ谷駅から東戸塚駅まで歩きました(2019年9月30日)。上の写真は、保土ヶ谷宿での一コマです。
下は、今回のルートを示す地図で、グーグルマップを用いています。赤い大きめのマークの史跡の中からいくつか選んで歩きました。
全員揃ったところで出発です。
旧東海道に出ました。旧保土ヶ谷宿の町並みにはたくさんの説明板が用意されています。
少し進んで東海道線を超えると、旧東海道は国道1号線と合流し直角に折れていますが、そこに保土ヶ谷宿の本陣跡があります(Iさん撮影)。
下は、本陣跡の前です。
ここには、下のような説明板があります(TNさん撮影)。
下は、脇本陣(藤屋)跡で、保土ヶ谷宿のパネルがあります。
このようなパネルがあります(Iさん撮影)。
さらに西に進んだ所にある脇本陣(水屋)跡の説明板の前です。
旅籠屋(本金子屋)の跡です。
下も本金子屋の前です。
下は、元金子屋跡にある説明板です(TNさん撮影)。
下は、もう一枚の保土ヶ谷宿のパネルです(Iさん撮影)。上のパネルの位置から旧東海道を挟んで反対側にあります。
旧東海道から少し南側、JR東海道線を越えたところに大仙寺、という真言宗のお寺があります(TNさん撮影)。
大仙寺の山門です(TNさん撮影)。
本堂です。真言宗の寺院です。
東海道線が乱れていて、踏切が開かず、だいぶ待たされました(TNさん撮影)。
旧東海道に戻り、下は茶屋本陣前です。
一里塚跡と上方見附跡の説明板です。
復元した松並木です(Iさん撮影)。
松並木の説明板です。
上の説明板の拡大です(Iさん撮影)。
そこから今井川を挟んで反対側に外川神社があります(Iさん撮影)。
下は外川神社です(Iさん撮影)。出羽三山の霊を勧請したのが始まりだそうです。
下は、外川神社の由緒です(Iさん撮影)。
この辺りは旧東海道と国道1号線が重なっていますが、下のパネルの位置で両道が別れます(Iさん撮影)。左が国道1号線、右が旧東海道です。
下は、日蓮宗の樹源寺です。
樹源寺の本堂です。
境内の池で鯉と戯れています。
下は更に西にある、正一位稲荷神社です。
Iさんだけが拝観しました。
草が茂っていて蚊に刺されそうだったので、皆さんは道路際で待っています。
下は元町ガード交差点です(Iさん撮影)。
その近くの元町橋ストアーの前の庚申塔です。
さて、いよいよこの日のメインイベントの権太坂に入ります(Iさん撮影)。箱根駅伝のコースにある権太坂は国道1号線の権太坂ですが、これから登るのは旧東海道の権太坂です。
登り始めるとすぐのところに、赤い鳥居と旧東海道権太坂改修記念碑が並んでいます。
こんな感じです。
そこからもう少し登ると保土ヶ谷バイパス(16号線)を越えます(TNさん撮影)。
下は権太坂の碑です。
下は、その説明板です(Iさん撮影)。
権太坂の一番坂と二番坂を登り少し進むと境木です。
旧東海道から少し離れたところに、投げ込み塚があります(TNさん撮影)。権太坂で倒れた人などを埋めたところのようです。
旧東海道を進むと境木の立場だったところに着きます。昔はここに数件の茶屋があり、明治天皇も休んだという建物が残っています(Iさん撮影)。
下は、境木立場跡です。写真中央にあるのが、武蔵国と相模国を分ける境界線を示す木です。
旧東海道を挟んで反対側に説明板があります(Iさん撮影)。
このような説明板もあります(Iさん撮影)。
SSさんはこの後別件があるため、ここで別れました。
下は、境木の奥にある、境木地蔵尊です。
境木の前です(Iさん撮影)。
境木を過ぎると今度は急な下り坂、焼餅坂に入ります。下は、焼餅坂の説明板です(Iさん撮影)。
焼餅坂を下り少し登ったところに品濃一里塚があります。道の両側に塚が残っています。
説明板の拡大です(Iさん撮影)。
下は一方の一里塚です。
これの裏側には道があり、下のような塚の様子を見ることができます(TNさん撮影)。
そこから西へすすむと、環状2号線を跨ぐ陸橋の袂に福壽観音があります。
旧東海道をもう少し進むと、周りは果樹園です。
上の写真の位置で撮ったのが下の写真です(Iさん撮影)。坂の下の正面に環状2号線を跨ぐ陸橋に至る階段があります。
これが階段です(Iさん撮影)。
下は、環状2号線を跨ぐ陸橋です(TNさん撮影)。
この日は、ここで、旧東海道と別れ、東戸塚駅に向かいました。途中にあった白旗神社です(TNさん撮影)。
境内を覗くと急な参道がありましたので拝殿へ行くのは諦めました(TNさん撮影)。
由緒を下に載せます(Iさん撮影)。
由緒を読んで、白旗神社を後にし、ランチのお店に向かいました。