今回の東海道歩きでは、JR東戸塚駅から戸塚駅まで歩きました(2019年10月21日)。上の写真は、赤関橋での1枚です。
下は、今回のルートを示す地図で、グーグルマップを用いています。赤い大きめのマークの史跡の中からいくつか選んで歩きました。
東戸塚駅で全員集合したところで歩き始めました。
後ろからの写真です(TNさん撮影)。
先ず、白旗山公園に行きました。急な階段の先です。
頂上には、下のような富士講碑が 建っています。
登ってみましょう(Nさん撮影)。
碑には、元一という富士講の名の下に、「富士乃山 登てみればな(後は不明)」と書かれているように見えます。
公園の南側の坂を降りると品濃白旗神社です(Nさん撮影)。
下は、拝殿です(Iさん撮影)。源義経を祀っているそうです。全国に、頼朝を祀る白旗神社は多いそうですが、義経を祀る白旗神社は8社しかないそうです。
拝殿の右側に石祠(せきし)がいくつかあります(Iさん撮影)。石祠の中に双体神や奇石が入っており、これは、小さいながらも一つのお宮なので、道祖神ばかりでなく神社の末社としても、よく見かけるのだそうです。
下は、参拝を終え、参道を下っているところです。
白旗神社の脇に、地神塔(じじんとう)があります(TNさん撮影)。右から、地神塔、青面金剛庚申塔、地蔵です。地神塔とは、地神信仰に基づく石塔であり、社日塔(しゃにちとう)ともいうのだそうです。
そこから旧東海道に出ました。次に、環状2号線の下にある植松寺(じきしょうじ)跡に行きました。環状2号線の出口付近にあり、とても怖い思いをしました。
下は、植松寺跡の碑です(Iさん撮影)。この寺は、大きな寺だったようですが、環状2号線の開発により廃寺になったのだそうです。
再び旧東海道に出て進むと、国道1号線と交わるところに海道橋の説明板があります。
下は、説明板です(TNさん撮影)。
海道橋は、上の写真の背中側にあります(Iさん撮影)。
下は赤関橋(あかせきばし)です。
更に進むと御嶽(みたけ)神社があります。下は、参道で、厳しい階段になっています(Nさん撮影)。実は、御嶽神社の入口手前で、道を歩いていた中年の女性に神社の入口を尋ねたところ、丁寧な説明の後、「ご苦労さまです」と言われました。その意味がよくわからなかったのですが、参道の階段を見て、このことだったのか、と納得しました。
下は境内です(Nさん撮影)。日本武尊の功績を追慕して創建とのことです。
御嶽神社の拝殿です(TNさん撮影)。
更に旧東海道を進み、王子神社を訪ねました(Iさん撮影)。後醍醐天皇の皇子、護良親王が祀られています。
鳥居です(TNさん撮影)。
鳥居の先に、注連縄が置かれていました(Nさん撮影)。
下は拝殿です。
旧東海道を進むと、街道の脇の崖に「益田家のモチの木」があります。下の写真の辺りかと思われます。
下は、不動坂です(Iさん撮影)。南西方向を向いて撮っており、左の細い道は旧東海道で、右の広い道は左右に別れ左が国道1号線、右はその戸塚バイパスです。
下は、不動坂の説明板です(TNさん撮影)。国道の状態はこの図からも分かります。
上の写真の少し手前(東京寄り)に大山道との分岐点、柏尾の大山道入口、があります。下の写真で、右の道は国道1号線の東京側で、左への道が大山に至る大山道でした。
大山道入り口から数十mのところに、大山前不動堂があります。
不動堂を覗き込んでいる人を見守っています(TNさん撮影)。
下は、護良親王の首洗い井戸と四つ杭跡です。護良親王が鎌倉宮で暗殺されたときに捨てられた首を洗い手厚く葬ったという言い伝えは何箇所かに伝わっているようですが、この地もその一つのようです。
首洗井戸の碑です。
これは首洗井戸とのことですが、後世に作られたもののようです(Iさん撮影)。
下は、四つ杭跡の碑です。
「史跡への小径」の碑で、碑陰を見ています(Nさん撮影)。
碑陰はこのようになっています(Iさん撮影)。
先に見えるレンガ造りの建物は、鎌倉ハム発祥の地です(Nさん撮影)。
舞岡川の元舞橋に出ました(Iさん撮影)。
説明板を見ています。
五太夫橋に差し掛かりました。
宝蔵院です(Iさん撮影)。真言宗の寺院です。
本堂です。
境内の車庫に「TUKUTUK」(東南アジア等で見られる三輪タクシー)が置いてあります(TNさん撮影)。
いよいよ江戸方見附に着きました。ここから、戸塚宿です。
正面の写真です(Iさん撮影)。
下は、日蓮宗の妙秀寺(みょうしゅうじ)です。
本堂です。
妙秀寺の境内には、吉田大橋の袂にあった道標が置かれています。この道標には、安藤広重の東海道五拾三次の浮世絵に描かれた「左りかまくら道」と彫られた道標だという伝承があるそうです。この浮世絵は、末尾の方に掲載します。
下は、吉田の一里塚の前です。
説明板です(Iさん撮影)。
木の間稲荷です。
木の間稲荷の由緒です(Nさん撮影)。
下は、吉田大橋です。広重の浮世絵「東海道五拾三次之内戸塚 保永堂版」にも書かれた名所だったようです。
上の写真の左端辺りに説明板があります。
下は、説明板です(Nさん撮影)。
ちなみに、安藤広重の書いた浮世絵「東海道五拾三次之内戸塚 保永堂版」を下に挿入します。右側の橋が吉田大橋で、画面中央にある道標「左りかまくら道」が、妙秀寺の境内にあった道標です。
この橋を越えるともうすぐ戸塚駅です。駅の北側の踏切は開かずの踏切としてここを通る人・車を悩ませていたましたが、2014 年に歩道橋「戸塚大踏切デッキ」が開通しました(Iさん撮影)。その後、自動車用の戸塚アンダーパスも近くに開通し、この踏切は閉鎖されました。
デッキを渡っているところです(Iさん撮影)。
線路を見るとこんな感じです(Nさん撮影)。
この日は、戸塚駅で終わりとして、ランチにしました。