東急東横線武蔵小杉駅で集合し、丸子宿とその周辺を歩いてきました(2021/11/25)。上は、丸子の渡しでの風景です。
下は、次回のコースを示す地図で、グーグルマップを用いています。紫色のマークの史跡の中からいくつか選んで歩きました。
武蔵小杉駅改札口付近で集合し揃ったところで出発です。
武蔵小杉駅前にある八百八橋の碑です。八百八橋とは、江戸時代中期にこの地で魚の肥料を扱っていた野村文左衛門が私財を投じて中原街道沿いの各地に架設した石橋のことで、後世、その功績を評しあちこちに碑が作られています。
下の写真はその碑です(Iさん撮影)。碑の手前は川と石橋を表しているそうです。
武蔵小杉といえば今はタワーマンションですが、駅前での1枚です(Nさん撮影)。
そこから、京浜伏見稲荷神社へ行きました。下は、大鳥居です。
下は南鳥居です(TNさん撮影)。
ここは、昭和時代に創建された立派な神社です。下は本殿です(Nさん撮影)。
千本鳥居です(TNさん撮影)。
境内には、藤塚と白山権現が置かれていました(Iさん撮影)。
そこから、上丸子日枝神社に行きました。
日枝神社の由緒書きの前です(TNさん撮影)。
境内と拝殿です。
下は本殿で、江戸時代に建てられたそうです(TNさん撮影)。
日枝神社では猿は神の使いだそうです(Nさん撮影)。
下は日枝神社境内にある八百八橋の碑です。
石には野村文左衛門の名が刻まれています(Iさん撮影)。
下は、御神木の大杉で、根だけが残されています。
NECが見えました(Iさん撮影)。
江戸時代は日枝神社の別当だった大楽院に行きました(Iさん撮影)。
下は本堂です。真言宗の寺院です(Nさん撮影)。
ここにも八百八橋の碑があります。
下は、新四国88 ヶ所お砂踏み霊場の一部です(Iさん撮影)。
丸子の渡しの碑の前で渡しのあった辺りを見ています。現在の丸子橋の少し南にあり、昔は多摩川を舟で渡っていました(Nさん撮影)。
碑のアップです(Iさん撮影)。
丸子の渡しの碑のあるところから丸子橋を見ています(Nさん撮影)。
そこから、中原街道を西へ向かいました(TNさん撮影)。
下は、原家陣屋門で、明治時代の姿が残されています。
門を内側から見ています(Nさん撮影)。
門を入ったところに、蔵の扉が再現されています(TNさん撮影)。
門を入ったところに祀られている稲荷社です(Iさん撮影)。
下は、名主だった安藤家の長屋門です(TNさん撮影)。
下は、石橋醤油店です(Iさん撮影)。この辺りに醸造工場が立ち並んでいたそうです。
その後、中原街道がカギ(クランク)状になっているところに行きました(Nさん撮影)。
カギのところにある、小杉御殿跡の碑を見ました。小杉御殿は江戸の初期に作られましたが、その後、東海道が整備され中原街道の利用者が減ったため、御殿も取り壊されました。下は御殿跡の碑です(TNさん撮影)。
なお、小杉御殿は下の図のように、クランクの辺りの北側にあったようです(TNさん撮影)。
小杉御殿跡に向かいます(Nさん撮影)。
下は、御殿の主たる部分だった御主殿のあったあたりで、現在、お稲荷さんがあります。
そこから等々力緑地へ行き、下の公園で弁当を食べました。後でTSさんから聞いたお話ですが、この公園は、夕方になるとワカケホンセイインコの大群がすごいのだそうです。
下は小杉神社です。
小杉神社の境内です(Nさん撮影)。
次に、西明寺を訪ねました。真言宗の寺院で、中原街道のカギの部分にあります。下は、上に書いた中原街道のカギのところから撮った写真です(Iさん撮影)。
下は、仁王門の辺りです。
下は、山門から見た本堂です(TNさん撮影)。
本堂の全景です(Iさん撮影)。
観音堂です(Nさん撮影)。閻魔大王が同居しているそうです。
西明寺を出たところで、武蔵小杉駅から帰るグループと、武蔵中原駅から帰るグループに別れました。以下は武蔵中原駅に向かったグループの写真です。下は、油屋の庚申塔です。
庚申塔の部分です(Iさん撮影)。
下は泉澤寺で、浄土宗の寺院です(Iさん撮影)。
下は泉澤寺の本堂と境内です(TNさん撮影)。
その後、中原村役場跡やくらやみ道を見ながら武蔵中原駅へ向かい、この日はそこで終了としました。