JR南武線登戸駅で集合し、旧津久井道周辺を歩いてきました(2022/6/23)。

下は、今回のコースを示す地図で、グーグルマップを用いています。紫色のマークの史跡の中からいくつか選んで歩きました。

この日の様子をSSさんがビデオで撮ってくださいましたので、先ずビデオで見てください。

以下、写真で紹介します。

全員集合したところでスタートです。

さあ、多摩川に向かいます(Nさん撮影)。

下は、吉沢石材店の前です(Nさん撮影)。以前は、旧津久井道にあったのですが、区画整理のため、最近多摩川に近いところ(ここ)に移転しました。とかなんとか、説明しているところです。

次に、多摩川の河原の「登戸の渡し」の碑に着きました(Nさん撮影)。

碑の周りで景色を見ています。

河原は下のような風景です。正面の碑が登戸の渡しの碑です(Iさん撮影)。

江戸時代、多摩川を越えるには通常は渡し船を使っていました。ここは、何箇所かあった多摩川の渡しの一つ「登戸の渡し」です。多摩川の渇水期には橋を渡したりもしていたようです。

下は、多摩川の土手を少し北上したところです(TNさん撮影)。アーチ状の橋は多摩水道橋です。

世田谷通りの多摩水道橋まで来たところです。

下は、光明院で、真言宗豊山派の寺院です。

蓮の花の鉢が数多く置かれていました。

光明院の仁王門です(Nさん撮影)。

仁王門の正面です(TNさん撮影)。

本堂です(TNさん撮影)。

下は、旧津久井道から光明院に移された、北向地蔵尊と馬頭観音です(Iさん撮影)。

下は、聖徳太子堂です(Nさん撮影)。聖徳太子は職人たちに信仰されたのだそうです。

聖徳太子堂の壁の鏝絵のアップです(TNさん撮影)。

下は、太子堂の中です(Nさん撮影)。左から順に、聖徳太子二歳時、十六歳のとき、摂政の時代の像、だそうです。

境内の様子です。

下は、光明院の境内です(TNさん撮影)。

下は、丸山教の本庁です(TNさん撮影)。丸山教は、明治時代に創設された神道系の新興宗教です。初期には富士講と結びつきがあったそうです。世直し的性格を持ち、明治政府の弾圧を受けたこともあるようですが、現在は、平和運動に力をいれているそうです。

丸山教の本殿です(Iさん撮影)。

北原白秋の歌碑です(TNさん撮影)。教祖が文学を愛した人で、白秋とも懇意だったようです。

登戸稲荷神社です。歳神は宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)です。

拝殿です。

この日は、登戸稲荷神社で弁当を食べました。

いじけて、ポツンと離れて食べている人達もいます(Nさん撮影)

食後に、全員写真を撮りました(Nさん)。

「江戸名所図会」という江戸時代に作られたガイドブックの絵を使い、登戸宿の説明をしているところです(Nさん撮影)。

下は、本殿の一部に残っている鏝絵(こてえ)です(Iさん撮影)。

鏝絵の説明をしています。

稲荷神社では、狛犬の代わりにキツネが置かれています。おキツネさんと見つめ合っています(Nさん撮影)。

そこから、旧津久井道に向かいました。

下は、料亭「柏屋」の跡です。区画整理に伴い、現在、柏屋は多摩川土手の近くに移っています。

下は碑のアップです(Iさん撮影)。

旧津久井道にある善立寺(ぜんりゅうじ)です(TNさん撮影)。日蓮宗の寺院です。

本殿です。

三十番神堂です(Iさん撮影)。

旧津久井道の、かつて「職人の街」と呼ばれたところに下駄づくりの説明パネルがあります(TNさん撮影)。登戸宿には、しっくい、石細工、その他たくさんの職人がいたそうです。

旧津久井道にある「多摩川の筏流し」の説明パネルです(TNさん撮影)。

懐かしいお蕎麦屋さんを覗き込むIさん(Nさん撮影)。

更に進むと、旧津久井道が二ヶ領用水と交わるところにある小泉橋に出ました。

下は、小泉橋の少し下流側にある榎戸の庚申塔です。

上の庚申塔は丸山講(現在の丸山教)によって建てられたもので、富士登拝するときの集合場所だったそうです。下は、その庚申塔です(TNさん撮影)。

庚申塔の説明パネルです(Nさん撮影)。

小泉橋のたもとで一休みです。

下は、江戸時代から続く菓子屋「寿々木饅頭屋」です(TNさん撮影)。又々、Iさんが覗いています。結局何かを買ったようです。

糀屋さんの前に差し掛かったところです(Nさん撮影)。

さらに進むと五反田川に架かる大道橋があります(Nさん撮影)。

ここには、大道橋と「そくざし」という説明パネルがあります(TNさん撮影)。パネルには、この辺りには繭の仲買人「そくざし」が店を構えた、という説明が書かれています。

今日はここで終わりにしました。下は五反田川で、ここを通り、向ヶ丘遊園駅に向かいました。