今回は、町田市の小野路宿(おのじじゅく)周辺を散策しました(2024/4/11)。上は、散策途中での一枚です(Nさん撮影)。

下は、次回のコースを示す地図で、グーグルマップを用いています。紫色のマークの史跡の中からいくつか選んで歩きました。

この日の様子をSSさんがビデオで撮ってくださいましたので、先ずビデオで見てください。

以下、写真で紹介します。

小田急線の鶴川駅で集合しました。

全員揃ったところで出発です。今回は先ず駅前からバスで小野路宿へ向かいます。

バスを待つ間、今日のコースの説明をしています(Nさん撮影)。

バスは、小野神社前停留所で降りました(Nさん撮影)。写真に写っている辺りが小野路宿の中心だったようです。

下は小野路宿の説明板です。小野路の名前の由来、歴史などが書いてあります。

小野路宿里山交流館で情報を入手し散策開始です。

下は、小野神社です(Iさん撮影)。小野篁(おののたかむら)と天下晴命(あめのしたばるのみこと)が祀られています。

下は小野神社の由来です。小野篁の七代の孫が創建したとあります。小野篁は、平安時代初期の公家で、文人で参議です。昼は朝廷で政治に参加し、夜は地獄で閻魔大王の裁判の補佐をしていたという伝説もあります。書家として有名な小野道風(とうふう、みちかぜ)の祖父にあたります。なお、美人で有名な小野小町の父あるいは祖父とも伝わっています。

下は小野神社の本殿です。

拝殿の彫刻と注連縄です(Iさん撮影)。

下は宮鐘(きゅうしょう 神社にある鐘)です(Iさん撮影)。

境内にて(Nさん撮影)。

参拝後、階段を避け、坂を下りました。

小野神社の先に進むと地蔵が七体並んでいる六地蔵があります。後から一人追加されたということです。

その横に、六地蔵幢(とう)があります。六地蔵が六面に彫られています。

その他に、石像、石碑が多数置かれています(Nさん撮影)。

先に進みます。雑木林の中の道はとても爽快です。

下は萬松寺(ばんしょうじ)です。臨済宗の寺院です。

下は萬松寺の本堂です(Iさん撮影)。

本堂の前で(Nさん撮影)。

その先、萬松寺谷戸を歩きました。谷戸(やと)は谷のことです。

下は、萬松寺谷戸の風景です(Iさん撮影)。

下は、こうせん塚です。咳の病を解決してくれるこうせん婆さんを祀っています。

木の根元に下のような小さな祠があります(Iさん撮影)。ここがこうせん塚です。

下は、こうせん塚の説明板です。

更に歩くと小野路城址があります(Nさん撮影)。

下は、小野路城址の説明板です。小野路城は平安時代末期の小山田(おやまだ)氏の城の一つだったようです。

ここから坂を登ります(Nさん撮影)。

坂を登ると、小野路城址頂上の平らな広場に八雲神社の祠が見えてきます(Iさん撮影)。

Nさんが全員写真の準備をしています。

下はNさんのカメラで撮った全員写真です。

さあ、八雲神社の前の坂を下ります。

下の写真の水たまりは、小野井戸と呼ばれ、小野小町が病に罹った時、この水で眼を洗ったところ回復した、という言い伝えがあるそうです(Iさん撮影)。

皆んなで下を覗いています(Nさん撮影)。何を覗いていたのか思い出せません。何が見えたのか、誰か覚えていますか?

その先には、厳しい下り坂が待っていました。

厳しい坂を下り、奈良ばい谷戸を進みました(Nさん撮影)。

下は、奈良ばい谷戸にある、竹筒が三つ並んでいる鹿威し(ししおどし)です。AFさんがじっと見ています。

上の鹿威しは下の写真のように三つの竹筒が並んでいました(Iさん撮影)。AFさんは三つの竹筒の周期の違いを調べていたようです。

奈良ばい谷戸の小道も快適でした。

景色もお天気も最高でした。

下は炭焼小屋です。立入禁止になっていました。

下は炭焼小屋のアップです(Iさん撮影)。どうやら最近、屋根の葺き替えがされたようです。

炭焼小屋を見ながら一休みです(Nさん撮影)。

下は関屋の切り通しです(Nさん撮影)。

下は、関谷切り通しの説明板です(Iさん撮影)。ここは布田道となっていますので、調布方面へ向かう道だったようです。

今回は、先へは進まず、切り通しで後戻りしました。

この日の出発点である小野路宿里山交流館まで戻り、そこでランチにしました。下は小野路宿里山交流館です(Iさん撮影)。昔の旅籠の跡に建てられています。

下は、里山歩きの心地よい疲労感と充実感に浸っているところです。この後、小野路うどんとコロッケを頂きました。

この日は、ランチを食べ終わったところで散策終了にしました。すべてが快適で、素晴らしい散策ができました。