今回は、王子駅で集合し、滝野川周辺を巡り板橋駅迄歩きました(2024/6/27)。上の写真は、王子神社での一枚です。

下は、今回のコースを示す地図で、グーグルマップを用いています。紫色のマークの史跡の中からいくつか選んで歩きました。

この日の様子をSSさんがビデオで撮ってくださいましたので、先ずビデオで見てください。

以下、写真で紹介します。

JR王子駅で集合しました。今日のコースについて説明しています(Nさん撮影)。

全員揃ったところで歩き始めました。

先ず、北とぴあの最上階17階の展望ロビーに上がり、周辺の地形を見渡しました。

下は、展望ロビーです。

下は飛鳥山側(南側)の風景です。

下は東側です(Iさん撮影)。

次に、装束稲荷(しょうぞくいなり)に向かいました。

下は、装束稲荷の全景です(Nさん撮影)。

拝殿です(TNさん撮影)。

境内にて。

江戸時代には、キツネたちが大きな榎(えのき)に集まり、そこで衣装を整えて並んで近くの王子稲荷神社(この後、訪問)に向かった、という言い伝えがあったそうで、下は、名所江戸百景の「王子装束えのき大晦日の狐火」という広重の絵です。

榎のあった場所には装束榎の碑があったそうで、現在、その碑は、装束稲荷神社に置かれています(Iさん撮影)。

今も、その言い伝えに因み、大晦日の夜、狐の面を被り装束稲荷神社から王子稲荷神社へ狐の行列と称し歩く習慣があるそうです。下は、その案内です。

下は、王子稲荷神社の山門です。参道は幼稚園の園庭になっているため通ることができません。他を回ってから王子稲荷神社を参拝することにしました。

次に、金輪寺(きんりんじ)を訪ねました。真言宗霊雲寺派の寺院です。金輪寺というのは、江戸時代には広大な敷地を持った大きな寺院で、王子稲荷神社や王子神社の別当だったようですが、江戸末期の火災と、明治時代の神仏分離政策により、一旦廃寺となり、その後、塔頭の一つが金輪寺の名を継いだのが今の金輪寺だそうです。

下は、金輪寺の歴代住職の宝篋印塔だそうです。

その後、名主の滝公園を訪ねました。この地の名主が、自邸の屋敷内を一般の人々の避暑のために解放したのだそうです。

下は、園内のマップです(TNさん撮影)。

下は、園内に入ってすぐの池です(TNさん撮影)。

園内で(TNさん撮影)。

下は男滝です。

名主の滝公園の外側を周り、王子稲荷神社に戻ります。下は、厳しい登り坂(三平坂)での一枚です(Nさん撮影)。

一廻りして王子稲荷神社に戻りました。下は王子稲荷神社の境内です。

下は拝殿です(Iさん撮影)。

王子稲荷神社は千年ほど前に「岸稲荷」として創建されたそうです。江戸時代は歴代の将軍に尊崇された関東で有数な稲荷神社です。

狐の穴跡(お穴さま)と呼ばれる、狐が住み着いた穴が、下の写真の奥にあります。

下がその狐の穴のようです(Iさん撮影)。

下は、願掛け石です(Iさん撮影)。

境内にて(Nさん撮影)。

下は、古い歴史を持つ、くず餅のお店だそうです(TNさん撮影)。

王子子育地蔵尊です。

子育地蔵のアップです(Iさん撮影)。

下は説明板です。

下は王子神社の鳥居です。

下は王子神社の由緒です。紀州の熊野から若一王子(にゃくいちおうじ)を勧請したことに始まる古い神社のようです。この神社名から、村の名前が王子村になったとのことです。

下は拝殿です(TNさん撮影)。

通りがかりの親切な方に、全員写真をNさんのカメラで撮ってもらいました。

下は王子神社の境内にある関神社です。百人一首の蝉丸が祀られています。髢(かもじ)、鬘(かつら)、床山等、「髪」を生業(なりわい)とする人達の祖神とされているのだそうです。

下は本殿です(TNさん撮影)。

音無川(石神井川は王子神社の辺りでこう呼ばれます)側の参道に大きなイチョウがあります。樹齢約600年と。

下は音無親水公園の舟串橋です。

橋の上から見える風景です(Iさん撮影)。水量は少ない状態でした。

下は、音無橋です(Nさん撮影)。

そこから、石神井川の右岸を歩き、正受院に向かいました。下は正寿院の山門です。竜宮城の形をしています(Iさん撮影)。

下は、正受院の門柱です。浄土宗の寺院です。

下は、本堂です(Iさん撮影)。

戦国時代の頃、修行中のお坊さんが、増水した石神井川から不動像を掬い上げ、それを祀ったというお話が伝わっているそうで、その像は滝不動と呼ばれます。下は滝不動の説明板です(TNさん撮影)。

下の写真の奥に滝不動、写真の左には、赤ちゃんを抱く地蔵像があります。このお寺は「赤ちゃん寺」と呼ばれているのだそうです。

下は、不動堂です(Iさん撮影)。

正受院の境内には、江戸末期に蝦夷地を調査した近藤重蔵の像があります(Iさん撮影)。

正寿院の上流側には、音無さくら緑地があります。下はその説明板です。

下は、音無さくら緑地です(Iさん撮影)。

更に上流に、金剛寺があります’(TNさん撮影)。紅葉寺とも呼ばれる、真言宗豊山派の寺院です。

源頼朝が伊豆で挙兵した直後、石橋山の戦いで負け、千葉にわたり体制を立て直し、隅田川を渡り武蔵国へ入った頃には益々大きな軍勢となり、当地にては、この金剛寺辺りに布陣したとのことです。下は、説明板です。

境内には、富士講の関連の碑があります。

下は、説明板です。

金剛寺の上流側に音無もみじ緑地があります。その辺りは石神井川の蛇行の跡で、江戸時代には弁財天洞窟があったそうです。

下は、音無もみじ緑地です(Iさん撮影)。写真右側の流れが石神井川で、写真の奥が上流です。江戸時代には石神井川はこの辺りで左側に大きく蛇行していたようです。

更に上流に、谷津大観音があります。寿徳寺の境外仏だそうです(Nさん撮影)。寿徳寺はこの少し北にあります。

下は、石大神宮(いそのおおかみのみや)・飯井宮(いひいぐう)です。天興大教会という教派神道の社かと思われます。

この日は、ここでランチにしました。Iさんとお店のご主人が同郷で話がはずみ、帰りに沢山のきゅうりをお土産にもらいました。ご主人の自宅(栃木県)の畑で作った野菜だそうです。

ランチの後に先ず訪ねたのは、下の重吉稲荷です。

下はおふくろ観音です(Iさん撮影)。

次に、伏見稲荷大明神を訪ねました。

下は、伏見稲荷大明神の正面です(Nさん撮影)。

下は、馬頭観世音です。文字の碑です(Iさん撮影)。

下は、近藤勇と新選組隊士の墓所です。JR板橋駅の近くにあります。この近くの寿徳寺が近藤勇と隊士の菩提寺であることで、この地に置かれているようです。

下は、近藤勇と土方歳三の墓です(Iさん撮影)。

下は、近藤勇像です(TNさん撮影)。

この日は、ここで、街歩き終了しました。お疲れ様でした。