今回は、板橋宿辺りを歩きました。上の写真は、板橋宿での一枚です。

下は、次回のコースを示す地図で、グーグルマップを用いています。紫色のマークの史跡の中からいくつか選んで歩きました。

この日の様子をSSさんがビデオで撮ってくださいましたので、先ずビデオで見てください。

以下、写真で紹介します。

今回は、JR埼京線の板橋駅で集合しました。

揃ったところで出発です。駅の西口を出ると工事中でした。

駅前に、「むすびのけやき」というのがありました。板橋宿に「縁切り榎」がありますので、こちらは「結ぶ」と名付けようです。

この日は、板橋宿に向かう前に、加賀公園(加賀前田家の下屋敷跡)を訪ねました。

説明板はかなり傷んでいます。江戸時代には、この辺りの非常に広い範囲が前田家の下屋敷だったのだそうです。下屋敷の築山の付近だけを加賀公園として残したようです。

築山に登ります。

築山の上で早速おやつ休憩にしました。

これは、築山の中腹で、弾道検査の標的跡だそうです。

下は、上の写真の背中側にある弾道検査管です。弾道速度を測定したのだそうです(Iさん撮影)。

加賀公園を出て、南極の石を見ました。第25次の南極地域観測隊が持ち帰ったものだそうです。

石のアップです(TNさん撮影)。

下は、バイオテクノロジーなどの分野の研究をしている野口研究所です。

加賀西公園に、圧磨機圧輪記念碑があります(TNさん撮影)。

冒険家の植村直己の記念館を尋ねました。

下は東光寺で、浄土宗の寺院です。加賀前田家にあった薬師堂などをこちらに移しているようです。

立派な庚申塔があります(Iさん撮影)。

下は宇喜多秀家の墓(供養塔)の前です。

宇喜多秀家の墓です(TNさん撮影)。

下の写真は平尾追分(中山道と川越街道の分岐点)の辺りで、ここから中山道の板橋宿が始まります(Iさん撮影)。板橋宿は、江戸側から順に、平尾宿(下宿)、仲宿、上宿の三つから構成されているそうです。ここは平尾宿です。

下は観明寺です(Iさん撮影)。

下は、入口の左側にある庚申塔です。

下は、観明寺と庚申塔の説明板です。

山門です(TNさん撮影)。

本堂です(TNさん撮影)。

この先は仲宿になります。

下は、板五米店です。

下は真言宗の遍照寺の入口です。

遍照寺の本堂です。

下は遍照寺の説明板です。

境内には、庚申塔などの石碑が並んでいます(Iさん撮影)。

江戸時代から仲宿には、板橋宿を代表する乗蓮寺という大きな寺院がありました。しかし、国道17 号の拡幅や首都高速5号池袋線の建設のため、板橋区の赤塚に移り、現在はまったくその気配が残っていません。

下は、乗蓮寺の参道だった道です。この先に乗蓮寺がありました。

下は、本陣跡です。

下は、説明板です。

下は、文殊院で、真言宗の寺院です。

本堂です(TNさん撮影)。

文殊院の山門を入ってすぐ左には閻魔堂があります。

中には、閻魔様とその両脇に、奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)が祀られています(Iさん撮影)。

下は、子(ね)の大権現です。

下は、仲宿の名主飯田家跡です。

もう少し近づいてみました(Iさん撮影)。

下は説明板です。

下は、氷川町の氷川神社です。

参道を進むとその右側に富士塚があります。

富士塚の登り口です。

下は、氷川神社と富士塚の説明板です。

拝殿です(TNさん撮影)。

下は、石神井川に架かる板橋です。江戸時代は木製の太鼓橋だったそうで、この橋の名にちなみ板橋と名付けれているそうです。

下は板橋の説明板です。

下は、縁切榎です。

榎(エノキ)と槻(ツキ、ケヤキのこと)が並んでおり、これらの双生を「エンツキ」というのだそうで、そこから「縁切り」にこじつけたもののようです。昔は、男女の縁を切るというようなご利益を期待されたようです。

縁切り榎について話をしていたら、近くの食堂の大将?が出てきていろいろと説明をしてくれました。この木は三代目で、初代と二代目はこの奥にある、と案内してくれました。が、下の写真から分かるように、皆さん疲れ切っているようで、話を聞いているように思えませんでした。

なお、この縁切り榎は、現在は、縁結びに御利益があるとされているようで、若い女性にとても人気があるようです。この日も、何人もの女性が絵馬に願い事を書いていました。

ということで、この日は、ここで街歩きを終了し、都営三田線の板橋本町駅に向かいました(TNさん撮影)。