今回は、大磯宿付近を歩きました。上の旧島崎藤村邸での一枚です。

下は、今回のコースを示す地図で、グーグルマップを用いています。紫色のマークの史跡の中からいくつか選んで歩きました。

この日の様子をSSさんがビデオで撮ってくださいましたので、先ずビデオで見てください。

以下、写真で紹介します。

この日は、平塚駅で集合しました。全員揃ったところでスタートです。

先ず、これから行く大磯周辺の地形などを説明しています(Nさん撮影)。

バスで、花水川の近く迄移動しました。

高麗山(こまやま)です(Nさん撮影)。

花水川を超えたところでバスを降り、先ず、善福寺を訪ねました。曽我物語の曽我十郎と虎御前の子である了源が開いたお寺です。曽我物語は鎌倉時代の始め頃の敵討ちのお話です。曽我十郎はその弟の五郎と共に敵討ちをしました。十郎の恋人だった虎御前は舞の名手で高名な人だったらしく、大磯には虎御前のお話がいろいろ残っています。

皆で並んで、Nさんに撮ってもらいました。

下は善福寺の境内で、正面が本堂です(Iさん撮影)。

境内には、7~8世紀の横穴古墳群があります。

下の写真では、横穴が見えます(Nさん撮影)。

次に、高来神社(たかくじんじゃ)と慶覚院を訪ねました。

下は、高来神社の一の鳥居です(Nさん撮影)。江戸時代は高麗神社と呼ばれていたそうです。裏の山は高麗山(こまやま)です。

二の鳥居の右側に慶覚院があります。江戸時代には、高麗神社の別当であった高麗寺があったそうですが、明治政府による神仏分離令で、高麗寺とその24坊は廃寺となり、その後に、高麗寺の末寺であった慶覚院がこの地に移ってきたのだそうです。

下は、慶覚院の山門の前にある由緒を見ているところです(TNさん撮影)。

下は、慶覚院の本堂です。

下は、江戸時代の高麗寺の見取り図ですが、とても広い境内だったことが分かります。神仏混淆の時代のお寺ですので、神社との区別がよく分かりません。絵の中央辺りに現高来神社があり、右下の方に、地蔵堂があり、そこが現在の慶覚院の位置になります。

下は高来神社の拝殿です(Iさん撮影)。

高来神社にはシイニッケイという、スダジイとヤブニッケイが一体になった木があります。下の写真の忠魂碑の右側にあります(Nさん撮影)、

下のような木です(Iさん撮影)。

下はシイニッケイの説明です。

高来神社から旧東海道に出てその西側に虚空蔵堂があります。昔はこの付近に下馬標があり、参勤交代の行列もここで最敬礼したのだそうです。というのは、高麗神社(高来神社)に東照大権現(徳川家康)が祀られていたためです。

下は説明板です。

そこから、旧東海道を西へ進むと、化粧井戸(けしょういど)があります。昔(鎌倉時代)、虎御前がこの井戸の水でお化粧をしたのだそうです。なお、この辺りの地名は化粧坂(けわいざか)です。読み方が違います。

下は説明板です。

下の写真の辺りに、化粧坂(けわいざか)の一里塚があったそうです。

下は一里塚の説明板です。

下は、歌川広重の東海道五十三次大磯の虎が雨、の碑です。虎御前の恋人であった蘇我十郎 の命日に流した涙になぞらえて、その日(旧暦の5月28日)降る雨を虎が雨と呼ぶそうです。絵の題材にもなるほど、虎御前の人気は後世まで伝わりました。

下は、広重の虎が雨の絵です。

下は、大磯八景の「化粧坂(けわいざか)の夜雨」の碑です。

下は、碑のアップです。

下は、江戸見附跡です。ここから西が大磯宿だった、ということになります。

東海道線の下をくぐり大磯の中心部へ向かいます(Nさん撮影)。

下は神明神社です(Iさん撮影)。

下は、秋葉神社です(Iさん撮影)。

下は延台寺です。

延台寺の本堂です(Iさん撮影)。

下は法虎庵です(Nさん撮影)。

法虎庵に虎御石(とらおいし)が置かれています(TNさん撮影)。中央に布で覆われており、石の様子は分かりません。

下は虎御石の説明板です。

下は、北組問屋場の跡です。

下は、小島(おじま)本陣跡です。

下は、地福寺です(Iさん撮影)。

地福寺本堂です(TNさん撮影)。

下は、地福寺境内の島崎藤村夫妻の墓です。

地福寺の境内、本堂の前です。

下は、照ヶ崎海水浴場の碑です。ここから海岸に向かう道を地元の人が整備したのだそうです。

原敬別邸跡です。

下は、照ヶ崎海岸にある松本順謝恩碑です。松本順は医師で、海水浴が健康によい、との信念で、大磯に海水浴場を設け、病院を兼ねた旅館も建設しました。大磯の発展に大いに貢献したことに対する謝恩の碑です。

下は、大磯照ヶ崎のアオバト飛来地です(TNさん撮影)。岩場の付近に来ることがあるそうです。この日は、空中を舞っている鳥はいたものの、アオバトかどうか分かりませんでした。上のYoutubeでお分かりのように、SSさんはビデオで捉えていました。

下はアオバトの飛来地の説明板です。

下は、結蛸(むすびたこ)のモニュメントです。昔、漁師が蛸を釣り上げると光輝いて千手観音になった、という大磯の言い伝えによるもののようです。

照ヶ崎海岸から戻る道で、大磯の紹介の掲示をみました(Nさん撮影)。

大磯に住んだことのある宰相、大磯にゆかりの人々がいます。

下は南組問屋場跡です(Iさん撮影)。

下は新島襄終焉の地の碑です。

下は説明板です。

下は高札場の説明です。

下は日本基督教団の大磯教会です(Iさん撮影)。

下は湘南発祥の地の碑です。

下に、「湘南」の由来が書かれています。

この日はここでランチにしました(Iさん撮影)。

下は、上方見附跡で、ここが大磯宿の西の端ということです(Iさん撮影)。

下は、旧島崎藤村邸です。

下は、説明板です。

藤村邸の部屋の様子です(Iさん撮影)。

反対側から撮りました。

下は鴫立庵(しぎたつあん)です。鴫立庵は、江戸時代前期に創設された俳諧道場です。

現在受付け入口となっている鴫立庵室や円位堂などの建物や、多数の句碑、歴代の庵主の碑があります。下は、入口を入ったところの様子です(Iさん撮影)。

鴫立庵室の室内です(Nさん撮影)。

下は法虎堂(虎子堂とも)で、虎御前の像があります。

下は説明板です。

下は円位堂で、西行の像が置かれています(Iさん撮影)。

下は、疲れ切っているおじいさんたちです。

鴫立庵の様子です(TNさん撮影)。

この日は、鴫立庵を出たところで、散策終わりとしました。

今年の夏は異常に暑い日が続きましたが、この日は歩きやすい天気となり、快適な散策ができました。