今回は、浜松町の大門駅で集合し、旧東海道の周辺を散策しながら品川迄歩いてきました(2018年2月22日)。赤穂浪士の辿った道を訪ねるコースも兼ねています。上の写真は泉岳寺での一コマです。
下は、今回のルートを示す地図で、オープンストリートマップを用いています。赤い破線は旧東海道です。青い破線は江戸時代の海岸線です。
先ず、大門駅の出口で、今日のコースの打ち合わせです(Nさん撮影)①。
ここは、旧東海道、現在の国道15号線であり第一京浜です。
大門駅から、さあ出発です。
先ず、浜松町の町名の由来の碑を見ました(Iさん撮影)②。これによると、元禄の頃、名主が浜松出身だったため「浜松町」と名付けた、とあります。
皆さん熱心に碑を読んでいます。
南下すると金杉橋の交差点に出ます(Nさん撮影)。
古川(渋谷川の下流 江戸時代は金杉川と呼ばれました。更に上流は赤羽川、渋谷川と名前を変えます)に架かる橋です(Iさん撮影)③。
この日は寒い日でした(Nさん撮影)。
金杉橋から芝橋に掛けて、旧東海道の一本東の道には寺院が多数あります(Nさん撮影)。
芝四丁目の交差点で交差する道は、入間川を埋め立ててできた道です。そこに芝橋が架かっていたそうです。下の写真は旧海岸通(JR側)を撮しています(Iさん撮影)⑤。
更に進むと、日比谷通りと合流する交差点に出ます(Nさん撮影)。
ここに、西郷隆盛と勝海舟の会見の地の碑があります(AFさん撮影)⑥。
碑の前で一枚。
下は、NEC本社です(Nさん撮影)⑦。
敷地の北側に、NEC創業当時の礎石が置いてありました(AFさん撮影)。
その近くに、薩摩藩屋敷跡の碑がありました(Iさん撮影)。
下は、慶應仲通り商店街にある水野監物(みずのけんもつ)邸跡です(Nさん撮影)⑧。
水野家は、46人の赤穂浪士の内9人を預かったそうで、切腹までの浪士の扱いは温かいものだったということが書かれています。
次に、田町駅のエスカレーターの上にある西郷・勝会見の図を見てきました(Iさん撮影)⑨。左側に西郷、右に勝が描かれています。
その先へ進むと札の辻に着きます(Iさん撮影)⑩。ここは高札場だったために「札の辻」という名前が付いたのだそうです。
札の辻の説明があります。
皆さん、下の説明を読んでいます(Iさん撮影)。
元和キリシタン遺跡を訪ねました(Iさん撮影)⑪。
下は、碑の部分です(Iさん撮影)。
そこからエレバータを使い聖坂に出ました。
下は、済海寺です(Iさん撮影)⑫。
ここには、フランス領事館の宿舎に使われていたという碑があります(Iさん撮影)。
その隣に亀塚公園があり、その一角に亀塚があります(Iさん撮影)⑬。
亀塚の頂上には、亀山碑というのがあります。
下は、その説明です(Iさん撮影)。
亀塚霊神祠跡というのもあります(AFさん撮影)。
ここから階段を下ると御田八幡神社に出ます(AFさん撮影)。
下は本殿です⑭。
下は鳥居です(Iさん撮影)。
ここから、下の新たなマップを使います。
下は、旧東海道の高輪大木戸跡です(Iさん撮影)⑮。
高輪大木戸の碑と説明板です(AFさん撮影)。
大木戸跡にて。
そこから泉岳寺に向かいました。赤穂浪士の辿った道を辿るテーマの最終目的の一つです。
泉岳寺の門前には、下のような四十七義士の石碑があります⑯。
下は泉岳寺の中門です(Iさん撮影)。
山門です(Nさん撮影)。
大石内蔵助の銅像です(Iさん撮影)。
本殿です(Nさん撮影)。
下は浅野長矩(浅野内匠頭)と赤穂義士墓所です。
墓所の中の瑶池梅です(Iさん撮影)。多分ピンクの方です。
血染めの梅と血染めの石です。
大石内蔵助の墓と義士の墓の一部です。義士の墓はこの周りに沢山並んでいます。
浅野長矩の墓です(Iさん撮影)。
赤穂浪士の墓を見学した後、高輪神社に向かいました。
下は高輪神社の鳥居です(Nさん撮影)⑰。
下は拝殿です(Iさん撮影)。
塀の内側にある下のレリーフはかなりの歴史があるそうです(Iさん撮影)。
境内で一枚。
下は、旧東海道沿いにある、高輪海岸の石垣石(いしがきいし)です(Iさん撮影)⑱。右下に見える石は、実際に使われていた石だそうです。
今日はここで終わりとし、この後、品川駅へ向かい、ランチとしました。
下はNさんのランチです。
この日は寒い一日でしたが、ビールとランチはうまかったぁ。お疲れ様でした。