今回は、京急蒲田駅からJR川崎駅辺りまで、旧東海道に沿って歩きました(2018年12月20日)。上の写真は、多摩川に架かる六郷橋を渡っているところです。
下は、次回のルートを示す地図で、グーグルマップを用いています。赤い大きめのマークは訪問候補の史跡です。この中から選んで歩きました。なお、青い線は旧東海道です。
京急蒲田駅で集合し、揃ったところで、旧東海道(国道15号線)をまずは南下しました。
下は、伊邪那岐命を祀る熊野神社です。
拝殿は流造というのだそうです。
拝殿横にある稲荷神社です。
熊野神社の境内で、なんのお話か(Nさん撮影)。
熊野神社の前は、国道15号線です。
更に南下して、六郷神社に着きました。これは、旧東海道(国道15号線)に面している脇参道です。
鳥居右側に立派な由緒書きが置かれています(Iさん撮影)。六郷神社は、この辺りの総鎮守だったそうです。源頼義、義家親子による創建で、源頼朝が梶原景時に命じて社殿を造営したことなどが書かれています。
脇参道を進みます(Nさん撮影)。
境内には、ユニークな狛犬がいます(Iさん撮影)。
拝殿です(Nさん撮影)。
拝殿の右奥に八幡塚があります。
下は、表参道の鳥居です(Iさん撮影)。
梶原景時が寄進したという太鼓橋(神橋)が置かれています(Iさん撮影)。
下は、六郷神社の別当だったという寶珠院です(Iさん撮影)。真言宗智山派です。国道15号線を挟んだ西側にあります。
本堂です(Iさん撮影)。このお寺は、葵の紋所の使用と、長柄の乗輿を許されていたいたのだそうです。
六郷橋に至る旧東海道跡の碑の前です。
下は観乗寺です(Iさん撮影)。
本堂です。
現在の六郷橋のたもとの宮本台緑地には、旧六郷橋の橋門と親柱が保存されています(Iさん撮影)。多摩川には、1600 年に家康の命で六郷橋が架けられたのですが、その後、1688年に洪水により失われてからは橋が架けられず、渡し舟の時代が続いたようです。明治になり、何度か橋が架けられましたが流失を繰り返していました。大正9 年になり、鉄の橋の着工となり、大正14 年に開通したそうで、下の写真はその橋だそうです。現在の六郷橋は昭和60年にできた橋です。
下は、八代将軍吉宗の落馬を止めたという言い伝えのある北野天神(止め天神)です(Nさん撮影)。
拝殿です(Iさん撮影)。
上の写真の参道右に丸い石(鶴さんと亀さんです)が2つ並んでいます。
「鶴さん」という石の横に、「鶴さん」というヒトを置いてみました(Nさん撮影)。
この境内に、六郷の渡し跡の碑があります。
いよいよ、六郷橋を渡り、東京都から神奈川県に入ります。
六郷橋から多摩川の下流を見ています(Nさん撮影)。
川崎に到着です。六郷橋の西詰南側です。
ここに明治天皇六郷渡御碑や長十郎梨の説明板があります(Iさん撮影)。
明治天皇の渡御碑にはしたのような渡御の様子のレリーフがあります(Nさん撮影)。
六郷の渡し跡の碑もあります。
そこからすぐ西に、川崎大師に至る大師道があります。
旧東海道に向かうと下のような感じです。これが旧川崎宿の入り口です。
ここに、奈良茶飯で有名だったという万年屋の書かれた説明板があります(Iさん撮影)。
その少し東に京急大師線の六郷橋停留所の跡があります(Iさん撮影)。
何かのポーズ?(Nさん撮影)。
ここから旧東海道に戻り、旧川崎宿を歩きます(Iさん撮影)。歩道には石が敷き詰められており、碑や説明板、案内板が整備されてとても分かりやすくなっています。
ここは川崎稲荷です(Nさん撮影)。
説明板には、川崎宿は何度も大火があり、由緒などの文書は消失してしまっていると書かれています。
下は田中本陣跡です。
皆さんが見ている説明板は下です(Iさん撮影)。川崎宿には本陣が3つあり、一番江戸寄りの本陣でした。
万年屋で有名になった奈良茶飯を、奈良茶飯風おこわとしてメニューにしているお店がありました(Iさん撮影)。
下は曹洞宗の宗三寺です(Iさん撮影)。
宗三寺の本堂です(Nさん撮影)。
下は、浄土宗の一行寺です。閻魔寺とも呼ばれています。
一行寺の本堂です。
一行寺境内に夫婦像があります。皆さん、碑に書かれた言葉を見て反省することしきりの様子です(Nさん撮影)。
旧東海道に戻り進むと、旧問屋場跡、中の本陣跡の碑があります(Iさん撮影)。
佐藤本陣の中興、佐藤惣兵衛の碑です(Nさん撮影)。
この辺りで、ビールとランチにしました。
ランチの後、佐藤本陣跡を見てJR川崎駅に向かいました。下は佐藤本陣の説明パネルです。
下は、川崎駅前にある坂本九の歌碑です。
この日は、川崎駅で解散しました。