今回の東海道歩きでは、JR川崎駅からJR鶴見駅まで歩きました(2019年1月24日)。
下は、今回のルートを示す地図で、グーグルマップを用いています。赤い大きめのマークの史跡の中から選んで歩きました。
今回の集合はJR川崎駅で、駅前の坂本九の歌碑からスタートです。
碑には下のようになっています。
旧東海道に出ましたが、これを横切って進みます。
下は稲毛公園です。
旧六郷橋の親柱がここに移設されています(Iさんの撮影)。
稲毛公園の隣に稲毛神社があります。稲毛神社は元は河崎山王社と呼ばれていました。祭神は、武甕槌神(たけみかつちのかみ)等5柱です。
下は、稲毛神社の鳥居です(TNさん撮影)。
境内には、芭蕉の句碑などの歌碑がいくつか置かれています。
境内を進むと、石の鳥居と拝殿があります(Iさん撮影)。
ここに、樹齢千年とも言われる大銀杏があります。
下は拝殿です。
境内には境内社がたくさんあり歴史を感じさせます。
境内には、小土呂橋の遺構が移設して残されています。
下は、稲毛神社の近くの幸福寺にある馬頭観音で、川崎競馬場の関係者が参拝するのだとか(Iさん撮影)。
下のようなお顔です(TNさん撮影)。
そこから、旧東海道に戻り、旧橘樹郡役所役所跡記念碑をみました。
下は、小土呂橋跡です(Iさん撮影)。ここに新川が流れており、この端が架かっていたということです。
下は、上手土居跡(川崎宿の京都側の入り口)です。
下のような説明板があります(TNさん撮影)。
下は、川崎小学校で、坂本九や、佐藤惣之助等が卒業したとのことです(Iさん撮影)。赤いポストが現役で働いています。隣の人はリタイアしました。
八丁畷の踏切の近くに芭蕉の句碑があります(Iさん撮影)。芭蕉の体調が悪くなり、江戸から郷里の伊賀に帰る道で、弟子たちが別れ難くここ(上手土居の辺り)まで送ってきて、お互いに句を詠みここで別れたということです。この年、芭蕉は亡くなっています。
下は説明板です(Iさんの撮影)。
下は、八丁畷駅近くにある無縁塚です。
下は説明板です(TNさんの撮影)。
そこから西に少し向かうと、夫婦橋跡の説明板があります。ここに用水が2本流れており、そこに架かっていた橋が夫婦橋だということです。
下は、横浜熊野神社です。
拝殿です(TNさん撮影)。
下は専念寺です(Iさん撮影)。浄土宗のお寺で、江戸時代は市場観音と呼ばれていたそうです。
本堂です(TNさん撮影)。
下は、境内にある富士塚です(Iさん撮影)。
下は一里塚です。
正面に見えるのが一里塚の名残です(TNさん撮影)。
下は庚申塔です(Iさん撮影)。
下は下町稲荷です(Iさん撮影)。
鶴見川の近くに金剛寺があります(TNさん撮影)。
本堂です(Iさん撮影)。
ここから、鶴見川橋を渡ります(TNさん撮影)。
鶴見川橋の西詰に鶴見川関門跡があります(Iさん撮影)。外国人の安全を守るために設けられた警護所のようなものです。
下は寺尾稲荷道の道標です。複製だそうです。
下は鶴見神社です(TNさん撮影)。
下は拝殿です(Iさん撮影)。
拝殿の後ろ側にある富士塚です(TNさん撮影)。
境内には、境内社がたくさん並んでいます。
下は、信楽茶屋跡で、現在、同じ名前のラーメン屋さんになっています(Iさん撮影)。
下は、身禄道の説明パネルを見ているところです。
下のようなパネルです(Iさん撮影)。
この辺りにはその他いくつかパネルがあります。
この日はここで終わりとして、ビールとランチにしました。
お疲れ様でした。