日本には、大小様々な神社が非常にたくさんあり、神様も大勢います。日本人の多くは、あらゆるものに神が宿っている、という考えを自然に受け入れる傾向にあり、日本には八百万の神々がおられることになっているので、神様の数が多いことにはあまり抵抗がありません。
神社もたくさんありますが、それぞれ専門分野・サービス内容(安産祈願、交通安全祈願他)が分かれています。我々日本人は、それを目安にお参りする神社、お気に入りの神社を選びお参りしています。
ところがです。大抵の日本人は、特定の神社にお参りし、ご利益を期待し、ご加護を願うのですが、どの神様にお願いしているか、という意識はあまりなさそうに感じます。大抵の神社には複数の神が祀られていますが、神様の名前はあまり知られていないことが多いようです。
これは非常に不思議です。神様にお参りしているはずなのに神様を知らないのです。結局、私たちは神様ではなく、神社にお参りしていることになります。私は、この信仰姿勢(習慣)をいつも不思議に思っていました。
この事実はどう考えればよいのでしょう。納得できる説明はあるのでしょうか。というわけで、「神社=インターネットサーバ」説を考えてみました。この説によると、上に書いた疑問はある程度解消します。又、日本人の神社信仰は唯一神信仰ではなかろうか、という結論に導かれます。
「神社=インターネットサーバ」説
インターネットサーバを神社に例えると、神様はCPUといえそうです。私たちは勿論クライアントです。インターネットを使う際、私たちはサーバに処理を要求しますが、どんなCPUが実装されているかあまり意識しません。これって、神社参拝に似ていると思いませんか。で、考えたのが下の表です。ついでとして、最後にインターネットの項も設けました。
インターネット | 神社を含む世界 | 備考 |
サーバ | 神社 | 箱、もの、サービスとしての実体 |
CPU | 神 | 機能的に中心的な枠割を担うもの、こと |
クライアント | 私達人間 | 依頼する側 |
インターネット全体 | 統合された唯一神 | トータルなシステム |
上の表で、言いたいことはほぼ尽くされるのですが、多分、あまりよく分かっていただけないと思いますので、以下に、項目毎にもう少し具体的に説明します。
サーバ:神社
サーバも神社も、いずれもクライアントにサービスします。願いを受付け、守ってくれます。
インターネットサーバは、Webサーバ、メールサーバ、データサーバ、名前解決のためのサーバ等、多種あります。クライアントは、やりたいこと・してもらいたいことに応じてサーバに処理を依頼し、サーバはそれに対し、結果を出します。一つのサーバが、いくつもの機能を果たすこともあります。これは、サーバに組み込まれたサービス、デーモン次第です。各サーバは、一つあるいは複数のCPUで処理を行います。
一方、神社は、稲荷神社、天神など、商売繁盛だったり学問だったり、というお得意の分野があります。いろいろなご利益のある神社、万能に近い神社もあります。一つの神社にいるのは一柱の神様だけとは限りません。複数の神様が同居(合祀)していることが普通です。
CPU:神
どちらも非常に多様です。
CPUはとても重要な役割を担います。特に、その性能がサーバの特性を左右します。CPUの性能は高機能~低機能まで様々ですし、汎用からGPUなどの専用まで機能も様々です。また、CPUにはどれも名前がついています。例えば、Intelの・・、AMDの・・とか。でも、普通は、サーバとして働いているのがどのCPUであるか、ということは気にしません。トータルな性能として評価するだけです。
神様は、古事記・日本書紀の神様、外国から来た神様、元は人間の神様など由来も様々です。霊力はさまざまです。神様には名前があり、日本中あちこちに同じ名前の神様がいいます。勧請により分霊された、という表現を使います。私たちはいろいろな神様がいることは知っていますが、神社にいる神様がどの神様か、ということは普通は意識していません。
クライアント:参拝者
クライアント装置にもCPUが実装されています。装置が壊れてもCPUは生きている可能性があります。CPUは捨ててもよいのですが、サーバで活用することも可能です。
クライアントだった人間も、祟を鎮めるため、あるいは生前の功績を顕彰して神様として神社に祀られる場合があります。菅原道真だったり徳川家康(東照大権現)だったり、あるいは、戦争でなくなった兵士などがその例です。更に、普通の人間は死んだ後、魂が残り、家の守り神として神様扱いを受けられるようです。いずれにしても、CPUの再活用と同じように見えます。
インターネット全体:??
いわゆるインターネットが、全体で一つのシステムとして機能しているのは、共通のプロトコルに則って協調して動いているからです。そして、インターネットには中核になるものがありません。すべてを含めてインターネットです。
神社でも、共通の信仰、儀式(プロトコル)などがあり、その範囲で神社と呼ばれていると解釈できます。人々は、どの神社でも必要に応じてお願いに行きます。そして、どこの神社も私達が他の神社を拝むことを特に問題にはしておらず、非常に度量の広い態度を示しているところから、神社界は表向き排他的なシステムではないものと察せられます。
そうすると、神社信仰としては、全神社・全神様をまとめたものが一つあるだけになります。これって、つまり、日本人の神社信仰は唯一神信仰なのではないでしょうか。。。。吉田神道みたいになってしまった。。。。
終わりに
以上の説明がふざけたロジックと感じられる方もおられるかもしれませんが、神社というものをどのように解釈すれば実情が理解しやすくなるか、という一つの試みとご理解ください。
参考 「寺社訪問 虎の巻」シリーズの記事のリスト
「寺社訪問 虎の巻」では以下のような記事を書いています。