2500年ほど前、インドの北方で釈迦が教えを説き初めて以来、それが仏教として、各時代、各地域で大きく変化しながら現在につながっています。でも、どのように変化してきたのかを理解するのは非常に大変です。

基本的には、仏教のはじめの頃は悟ることが重視されましたが、歴史を経るにつれて救われることが重視されるようにもなってきました。また、なすべきこと、救いの対象とされる人たちも変わってきました。

そのようなことを踏まえ、ここでは、仏教の歴史的な過程での「必須科目」、「卒業証書」はいったい何のか、という観点でまとめてみました。

仏教の分類

ここでは、仏教を時代、地域別に以下の3つに分けて整理します。

まず1つ目は、釈迦が生きていた頃の原始仏教です。釈迦が弟子たちに直接教えました。とはいえ、その頃の釈迦の教えは具体的にはあまりよく分からないようではあります。

2つ目は、釈迦が死んでしばらく後、東南アジアやスリランカに伝わった仏教(上座部仏教又は上座仏教 昔は小乗仏教という言い方もありましたが、大乗仏教側からみた蔑んだ呼び方)です。私は上座部仏教の知識がすくないため、あまり正確には書けないかもしれません。

以上の2つでは、悟ることが重視されます。「仏」、「ブッダ」は本来悟った人の意味を持っています。

そして3つ目は、インドから中国、朝鮮、日本へと伝わった大乗仏教です。大乗仏教は非常に多様になり、悟ることに加え、大衆を救うことが重視されるようになります。

各仏教ごとの必須科目と卒業証書

先ず、各仏教における必須科目と卒業証書の種類を表にしてみました。

各種仏教必須科目卒業証書
原始仏教出家者は修行が中心
在家は善行が中心
仏になれる
=悟りが得られる
上座部仏教出家者は修行が中心
在家は善行が中心
仏になれない
(仏は釈迦だけ)
が、阿羅漢にはなれる
大乗仏教在家が主体
 善行+α
 (宗派により異なる)
仏になれる
=悟りが得られる
=救われる

表の注釈

これらすべての仏教において、善行は必須科目です。「善行」とは、正しい行いをし、人のためにつくすことなどを意味します。

「修行」とは、「苦」を理解し、そこから脱却し、安寧の世界に至るための行いです。

「仏になる」とは、悟ること、救われること、など様々な意味があります。場合、部派によって意味が異なります。

仏の呼び方

名前について整理をしておきます。「釈迦」は固有名詞です。本当の名前は「ゴータマ・シッダールタ」ですが、シャカ族出身なので「釈迦」と呼ばれることが多いのです。「仏」「ブッダ」というのは悟った人、という意味です。本来は普通名詞ですが、釈迦その人を指す言葉として使われることがあり、混乱が生じます。キリスト教では、「イエス」が固有名詞で、「キリスト」は救世主の意味の普通名詞ですがイエスを指す固有名詞になったことに似ています。

釈迦の位置づけ

各種仏教において、釈迦がどのように考えられているかを別の表にしておきます。

各種仏教釈迦をどのように考えているか
原始仏教釈迦は非常に優れた人
上座部仏教釈迦は他の人が絶対到達できないレベルの人
大乗仏教人間を超越した存在「仏、如来ともいう」
(但し、釈迦の他に多数の如来がいる)

以下に、各仏教について説明を追加します。

原始仏教

原始仏教は、釈迦が生きていた頃の教えです。出家者は教団に入り、もっぱら修行に明け暮れ、経済活動・生産活動は行いません。在家者は、日常の仕事をしながら、自ら修行し、出家者を支えます。受講者の立場(出家か在家か)によって必須科目が異なります。出家者に対しては、「苦」を理解し自ら解決すること(修行)が重要視されました。ほとんど心理学・哲学の分野であり、普通に言う宗教とはまるで違います。釈迦自身は、努力次第で誰でも悟れる、と言いました。どこにも「神」的なものは出てきません。なお、在家者に対しては、善行が重視され、悟りとは少し離れたところに置かれたようです。ところで、仏教経典の中でどの部分が釈迦の言ったことなのかを判別することはなかなか難しいことのようですので、原始仏教を正確に再構築することはほぼできないようです。

上座部仏教

上座部仏教では、釈迦が死んだ後、釈迦を特別視したため(釈迦は普通の人間とは異なる人間とされたため)、ブッダになるのは釈迦のみであり、その他の人間はブッダになれず、阿羅漢になれるだけ、とされます。阿羅漢も悟った人ですが、釈迦とは悟りのレベルが違う、ということのようです。上座部仏教では、出家者と在家者の区別が歴然としていました。従って、そのような体制に異議を呈する声が現れても不思議はありません。当時、インド全体が経済的に苦しい時代を迎えた頃のようで、非生産的な団体の存在が難しくなってきたという事情もあったようです。その後、インドでは仏教は廃れ、中国や日本では大きく性格を変え大乗仏教として、あるいは東南アジア等では初期の教えを比較的保った上座部仏教として信仰が伝えられました。

大乗仏教

おそらく、釈迦の死後のインドにおける多様化した仏教諸派の中から大乗仏教が生まれ、それが中国に伝わり展開され、更に日本に渡ってきました。大乗仏教においては、すべての人を救うことが最大の目的になりました。従って、大乗仏教は基本的に在家者のための教えであり、その故に、仏になるための関門は大幅に緩和されました。なお、出家者もいますが、相対的に非常に少数です。

大乗仏教には非常に多くのお経があり、よく言えば多様、悪く言うと一貫性がありません。悟りに至るための修行を重視する宗派もあり、軽視する宗派もあります。おまけに、仏様の数が増えるは、時間・空間の次元が拡大され宇宙が広がるはで、ワンダーランドの雰囲気を醸し出しています。とは書きましたが、実態は、できるだけ多くの人を救うために考えられた手法だといえるでしょう。

そのため、日本に伝わった大乗仏教もたくさんの宗派に分かれました。日本の仏教宗派については、別の記事「寺社訪問 虎の巻 仏教各宗派をポイントで表してみる」で、宗派の特徴をポイントに例えて整理してみました。ただし、そこには、教えの内容についての具体的な記述はありませんので、機会がありましたら、改めて、宗派の説明を書いてみたいと思っています。

参考 「寺社訪問 虎の巻」シリーズの記事のリスト 

「寺社訪問 虎の巻」では以下のような記事を書いています。