6世紀に日本に仏教が入ってきてからずっと、日本古来の神様と仏様は、あるときは闘争、あるときは共存(神仏習合)してきました。江戸時代以前は、神社とお寺が同じ敷地にあるのは普通の状態でしたが、明治時代になり神仏分離が行われ、今のように神社とお寺が別組織になったわけです。
今の一般の日本人の心の中では、両者を特に区別することなく、都合に応じてどちらかに、お願いするなり、平穏な生活のお礼をするなりしているようです。悪く言うと、助けてくれるならどちらでも、ということで「神様、仏様。どうか・・・」となります。
しかし、理論・思想のレベルでは、両者の関連付け、上下関係の論争がありました。この記事では、これまで両者の関係はどのように理論付けされてきたのかを整理してみます。ただし、このような議論は一般民衆の中にはあまり浸透しなかったのではなかろうかと想像されます。
主な考え方
神様と仏様のどちらが上かについては、下の三通りに分かれるかと思います。
- 仏様が上
- 神様が上
- 神様と仏様は同格
これら3つにつき、以下に説明します。
仏様が上 「本地垂迹説」
本地垂迹説とは、「仏や菩薩が仮に神の姿となって現れた(垂迹した)」という考え方です。この考えは、神が仮の姿、と言っていますので、当然にも、仏教側から出され説です。真言宗の流れを汲む両部神道、天台宗の流れをくむ山王神道が有力なグループです。「八幡神は阿弥陀如来」「天照大御神は大日如来」「素戔嗚命(すさのおのみこと)は牛頭天王(ごずてんのう)あるいは薬師如来」など対応付けられています。このような対応付けは、現在も非常によく耳にしますが、理論的かというと必ずしもそうでもなくて、単なる思いつきやこじつけに感じることもあります。
神様が上 「反本地垂迹説」、「神本仏迹説」
この説では、神が上である、あるいは、根源は神であることを主張しています。
この考えは、やはり当然ながら、先ずは、神社側から出されました。鎌倉時代に現れたのは、伊勢神宮外宮の神官が唱えた伊勢神道(度会神道)で、室町時代に吉田神道(唯一神道)が起こり理論が確立され、江戸時代には賀茂真淵や本居宣長といった国学者が日本固有の神道の復活を目指した復古神道を唱え大きな流れを作りました。その後、明治政府が神仏分離と神道国教化を推進したことはよく知られるところです。
神様と仏様は同格 一般大衆のイメージ(私自身のイメージ?)
一般大衆は神様も仏様も同格だと思っているのではないでしょうか。自分が頼る相手、あるいは、お気に入りが決まっていて、それがたまたま神様だったり仏様だったりするだけかもしれません。あるいは、その他様々な信仰があるなかで、それらの区別がつかない、ということもありそうです。
まとめ
ということでどちらが偉いか、お分かりでしょうか。私にはよく分かりませんでした。
参考 「寺社訪問 虎の巻」シリーズの記事のリスト
「寺社訪問 虎の巻」では以下のような記事を書いています。