「主体性の進化論」今西錦司(中公新書 1980)
今回はちょっと古い本です。今西進化論というのは私達の世代ではとても懐かしい理論、思想です。生存競争を思い起こさせる淘汰が基本のダーウイン進化論とは異なり、平和な棲み分け理論を中核に据えた今西進化論はなにか心地のよいものでした。今西進化論とは何か、と問われたら、生物は、自力で変わるべくして変わった、という理論だと答えてもよいのでしょうか。
今西は「棲み分け理論」、つまり、種はそれぞれ自らに合った環境に棲み分ける、という理論を提唱しました。その後,「主体性の進化論」といわれ、ダーウィン流の進化論とは異なる独自の今西進化論を提唱しました。今西はダーウィンの進化論を完全否定しているわけではないのですが、その中にどうしても納得できないところがあり、独自の進化論を提唱した、ということのようです。
ダーウィンの自然淘汰に疑問を持ち、かといって、ラマルクの要不要説にも完全に組みすることはできないが、ラマルク説を完全に否定しているわけでもありません。
この本のなかから、キリンの首が伸びたのは何故か、ということに関し今西の書いた部分を抜き出してみます。ダーウィンの進化論では、なぜ首が伸びるのか、そのような適応を起こした理由が分からない、と言っています。ただし、「もしもキリンの首や足がなんらかの理由でーーその理由はしばらく問わないことにしてーー長くなっていたとしたら、キリンは首や足の長くなるに従って」適応できるだろう、と書いています。この何らかの理由というのが今西には分からなかったようなのですが、生物それ自体に首を伸ばす作用が働いた(生物が主体的に変わった)、と考えたようです。又、突然変異があったとしても、方向性のある進化、あるいはときには急激な変化をするような進化は期待できそうもない、とも。
当時は、生存競争が淘汰の中心だと捉えていたようなのですが、現在では、必ずしも競争が無くても、環境に適応するかどうか、が淘汰の中心的な作用となている、と考えるようです(ダーウィン自身もそう考えていたようではあります)。又、個体にばらつきがあり、たまたま首が長いキリンの生存確率が上がってその性質を持つ個体が多くなった、という説明でもよいと思うのですが、今西はその辺りには触れていません。
更には、当時、中立進化説も知られておらず、又、遺伝子の中でまとまった領域で欠損、重複が生じることなども知られていなかった時代で、漸進的な変化しか起こしそうにないダーウィン進化論を批判せざるをえなかったのかもしれません。
