「ヒミコの暗号」伊勢谷武(Kindle版 2025)
この本は、歴史ミステリー小説といってよいのかと思います。著者は、日本にはあまり例のないジャンルであるアカデミック・スリラー、つまり、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』やダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』を目指した、とのことです。実際、多岐にわたる分野の話題や科学的知見に溢れており、とても楽しく、かなりのページ数ですが一気に読める本です。日本古来の祈りや習慣の素晴らしさが書かれており、無条件で嬉しくなります。なお、この本はKindle版しかないようです。
小説の内容については、ネタバレを避けるため、Amazonのサイトからの引用を下に記します。
東大生・十条叶羽(かのは)は、祖母の遺品に残された一葉の暗号文に導かれる。それは、記紀や風土記の行間に封じられた、“語られてこなかった日本”への扉だった。
AI「チャットベリタス」が照らし出したのは、改竄された神話、そして抹消された記録。
追われ、裏切られ、命を狙われながら、叶羽はある事実に辿り着く──
これは、神話ではない……
“誰かが語らせなかった物語”が、この国には確かに存在していたと。
その中心にいたのは、歴史から抹消された”名もなき女王”。
封印された歴史とは何か。そして──
邪馬台国はどこにあり、ヒミコとは誰だったのか。
真実を求める叶羽の旅が──いま、始まる。
ということで、とても楽しく読むことができましたので感想を少し書きます。
著者は「本書では、日本人一人ひとりが、できるだけ政治的な立場や個人・団体の利害から独立した視点で、自分たちの歴史を公正に見つめることの大切さを描こうと努めました」と書いています。楽しめることが大事とは思うのですが、公正とは言い切れないものも感じます。
小説の中で、現生人類が世界中に広がったグレートジャーニーに関するお話しが出てきます。この類の解説でいつも感じることですが、人類は冒険心に導かれて広がった、と読み取れる書き方が非常に多いように思います。しかし、この小説で非常に重要な位置を占めるAI(人工知能)であるチャットベリタスは、人類が世界中に広まる経緯について「もっとも、単一の移動ではなく、世代を超えた地理的拡散だったと考えられます」と述べ「一つの集団が生涯をかけて大陸を横断したわけではなく、各世代が少しずつ活動範囲を広げていったのです」と言っています。それは非常に納得できる説明なのですが、それにも関わらず、小説では冒険的な行動により先へ進んだような書き方が多くあります。とはいえ、この種の記述は、人類の歴史に関する啓蒙書でも多々見られることですのでやむを得ないかとも思います。
次はもう少し大きな問題です。科学的なデータを多用していますが、用いるデータにかなり恣意的な取捨選択が働いているようです。小説としての筋があるし、面白さも追求しなければならないのですから、恣意的な選択のあることを問題にしてはいけないとは思うものの、読者のレビューを見ると、一言触れたほうがよいかな、との気持ちにさせられます。
著者は「この小説に登場する文献、神名、神社、祭祀、宝物、遺物、遺跡、ならびにDNA分析を含む科学的知見は、実際の史料研究成果に基づいています」と書いているのですが、実際の資料を使っているとしても、様々に異なる意見の中からどの説を利用するかは、かなり恣意的になっているのは間違いないでしょう。ただし、この小説に対しそのことを非難をするのは的外れだろうと思います。
とはいえ、Amazonのサイトにある何人かの読者のレビューでは、学校で教えられない真実が書いてあるとか、神話とDNA研究の知見が繋がったとか、この小説の記述は全面的に真実だとか、思いこんでいる人が一定数いるようで、それが少し不安になりました。何しろ、この本は「真実が隠されている」ということが主題になっているのですから、そう思うのも無理はありませんね。小説としては成功しているようです。

