「AIに意識は生まれるか」金井良太 、佐藤喬( Kindle版 2023)

意識、クオリアについて書かれた本はたくさんありますが、この本には、著者の子供の頃からの心に関する疑問とからめ、著者の成長とともにクオリアの理解に近づく様子が書いれています。著者の言葉だと「この本では、研究者としての僕の半生を重ねながら、意識の不思議さと、意識をめぐる哲学的・自然科学的な理論を紹介していく。」となります。とにかく、著者自信がどのように気づいていき、どのように理解を深めていくかを順に追って書いているため、クオリアとか意識というものが非常にすんなりと頭に入ってきます。

この本を読みながら、私自身は「哲学的ゾンビ」という状態がどのようなものであるか、ということに(今更ではありますが)気がつきました。それまで、私は「哲学的ゾンビ」というものが理屈としては考えられることは知っていたのですが、哲学的ゾンビが実際どのような状態なのか、イメージを掴めていませんでした。つまり、クオリアがないということはどういう状態なのか、目に入ってくる映像、耳から入ってくる音、皮膚で感じるもの、すべてがが全く意識できない、感じない、ということがどういう状態なのか積極的にイメージしてみようとは思っていなかったわけです。ただし、知識としては、例えば、脳の疾患により目が見えないのに(見えているという感覚のないのに)、実は目の前の状況は把握していてそれに関する質問に答えられる人がいる、ということは読んだことがありました(それがどの本であったのかは思い出せないのですが)。

この本を読みながら、ひょいとこの疾患のことを思い出し、この患者の状態がクオリアが無い状態に当たるのだ、つまり「哲学的ゾンビ」というのはこれがヒントになるのだ、と気が付きました。この本にそのことが明示的に書いてあるわけではないのですが、読んでいる途中に、ああそうか、という感じで「哲学的ゾンビ」とは、クオリアがまったくない(感じない)状態のことだと、納得した訳けです。それまで、あたりまえのことが私にはイメージできていませんでした。

この本を読み続けると、意識の統合理論とか、意識を作るとか、の話題になるのですが、そこら辺になると、理解できなくて、ついていけなくなりました。反論したい、否定したい、という意味ではなくて、ただ単に理解が追いつかない、といことです。

この本の目次は以下のようになっています。

Part1 世界はフィクションかもしれない
Part2 意識とクオリアの謎
Part3 意識を研究する
Part4 意識のありかを探せ
Part5 クオリアが作り出すフィクション
Part6 内側から見た意識
Part7 意識の統合情報理論
Part8 意識を作る
Part9 意識を持つAI
Part10 人工知識とクオリアの意味

コメントを残す