「テクノ・リバタリアン」橘玲(文春新書 2024)

テクノ・リバタリアンとはイーロン・マスクのような論理的・数学的に優れた能力を持つリバタリアンのことだそうです。著者は本書でテクノ・リバタリアニズムが世界を変える唯一の思想だと述べています。

本書では先ず、自由を巡る思想(リバタリアニズム、リベラリズム、コミュニタリアニズム)につき、とても分かりやすい説明がされています。

自然権としての人権を前提とすれば、
リバタリアニズムというのはようするに次のような政治思想だ。
  ひとは自由に生きるのが素晴らしい  
これに対して、リベラリズムは若干の修正を加える。
  ひとは自由に生きるのが素晴らしい。しかし平等も大事だ  
自由主義に対抗する思想として「共同体主義(Communitarianism:コミュニタリアニズム)」があるが、それとても「自由」の価値を否定するわけではない。彼らはいう。
  ひとは自由に生きるのが素晴らしい。しかし伝統も大事だ

なるほど。これで、リバタリアニズム、リベラリズム、コミュニタリアニズムの違いが分かりますね。

さらに、ネオリベについては、本書では「リバタリアニズムと功利主義を包括してネオリベ(新自由主義)と呼ぶ」とされています。なお、Wikipediaでは「政府による個人や市場への介入を最低限とすべきと提唱する経済学上の思想」との説明もありますが、ネオリベの定義については必ずしも統一はされていないようです。

本書では、正義を巡る4つの立場の考察が行われます。

4つの立場(主義)のうち3つ、自由主義、平等主義、共同体主義は進化論的な道徳基準(正義感覚が基礎にある)、つまり、人間の進化の過程で発達した道徳基準だそうです。4つの立場の残る1つ、功利主義は、理屈はどうあれ、うまくいくのならそれでいいという立場(プラグマティズム)です。功利主義は非進化論的な道徳基準つまり、進化の過程で生まれたのではないと説明されています。なお、ネオリベが功利主義と相性がよいことは上にも書かれています。

さて、テクノリバタリアンとは、本書では、リバタリアンの中できわめて高い論理・数学的知能をもつ人たちとされています。本書では、マスクやティールその他のテクノリバタリアンが紹介されます。

著者は、「経済格差の拡大をネオリベ(新自由主義) が引き起こしたと批判するひとたちがたくさんいるが、これは因果関係を間違えている。たんなる政治思想に市場経済を動かすようなちからがあるはずがない。そうではなくて、高度化する知識社会をもっともうまく説明できるからこそ、「役に立つ思想」としてネオリベが選ばれたのだ」と言います。しかし、私にはどうにも納得できません。富の格差を容認する空気がなければ、これほどの格差が生まれると思えない。富の格差を容認する声が大きいから、税制、企業組織、あらゆるところで格差が拡大するような気がします。著者はネオリベが「高度化する知識社会をもっとうまく説明できる」というのですが、これは後付のような気がします。

著者はさらに、「生成AI、遺伝子編集、ブロックチェーンなどSFのようなテクノロジーが次々と現われるいま、なぜテクノ・リバタリアニズムが大きな影響力をもつようになったかわかるだろう。それはなにかの「陰謀」ではなく、時代の必然なのだ」といっています。著者の意図をなんとか読み取りたいとは思うものの、何か論理の飛躍があるようにも感じます。さらに、私には、世界がほんの一部のテクノリバタリアンの思うがままになるというのは民主主義とはおよそかけ離れたもので、気持ちが悪いことではあります。

その他、著者の記述の力に圧倒されてしまうのですが、納得できないところが随所にあります。どうやらレトリックを使っているのか、著者の意図のわからないところもあります。じっくり考えなければならないようです。

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