「新アジア仏教史05 中央アジア 文明・文化の交差点」奈良康明他編(佼成出版社 電子書籍版 2018)

第一章では、インドを出て中央アジアで展開された仏教について解説されています。

私達は、仏教を三国伝来と称し、インドから中国へそして日本へ伝わったと理解しています。しかし、インドから直接中国へ伝わったわけではなく、中央アジアでさまざまな異文化を溶け込ませ中国に至ったようです。この本を読むと、私達が国内で日常的に眼にする仏教の習慣は、インド仏教よりもむしろ、中央アジアで生まれた教えに似ている、ということがよくわかります。

インドから中央アジアへの仏教の伝播というと、先ず、アショーカ王の名前が浮かびます。アショーカ王は多数の舎利塔を建てたそうですが、その頃から後、舎利塔が非常に増えたのだそうです。そして、ガンダーラ地方では、大乗仏教が興隆し、仏像が出現し、インド仏教は大きな変貌を遂げました。中央アジアで大乗仏教が受け入れられたのは、出家を要しない、布施・礼拝を通して仏・菩薩に救済を請願する、という異民族にも分かりやすい信仰が主流になったことが大きいようです。

このようにして中央アジアで展開した仏教は、インド仏教とは異なる独自の仏教(大乗仏教)となり中国に届きました。ある意味当然かも知れませんが、中国側はそれをインド直伝の仏教と理解しました。つまり、インド仏教では、思索による教理展開や修行による解脱への精進が基本的な教え(原始仏教と部派仏教)だったのですが、それが中央アジアで、仏・菩薩による直接的な保護や救済を望む宗教に変わっていました(この信仰は、日本では見慣れた仏教です)。又同時に、中国には、釈迦の教えに近い経典も入りました。そのため、中国側では相当な混乱が起こったようです。

なお、浄土宗系統の「観無量寿経」は中国で編集されたもののようですが、中央アジア的要素が強くあります。この念仏を唱える教えが東アジアの仏教に及ぼした影響は極めて大きいといえます。実際、日本での浄土宗系の信者は多数派になっています。

菩薩信仰も中央アジアで発達したものですし、観音と弥勒の信仰も中央アジアで流行したのだそうです。そうなると、現在の日本の仏教の基本形は中央アジアで作られたといってもあながち間違いではなさそうです。

なお、この巻の目次は以下のようになっています。上に書いた話題は、主に第1章に書かれています。

第1章 インダス越えて―仏教の中央アジア
第2章 東トルキスタンにおける仏教の受容とその展開
第3章 中央アジアの仏教写本
第4章 出土資料が語る宗教文化―イラン語圏の仏教を中心に
第5章 中央アジアの仏教美術
第6章 仏教信仰と社会
第7章 敦煌―文献・文化・美術

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