「社会的嘘の終わりと新しい自由 2030年代の日本をどう生きるか」渡瀬裕哉(すばる舎 2023)
著者は日本や米国で選挙に関わりキャリアを積んできた人のようです。著者はこの本で、「なぜ、多くの人が懸命に働いても自分の展望が持てないのか?」「なぜ、現代の日本で閉塞感を感じるのか?」そして「その閉塞感を乗り越えて生きていくにはどうすれば良いのか?」という難問に対し回答をまとめたい、としています。
権威主義
著者は先ず、権威主義をいくつか定義しています。
権威主義1.0:王政や神権政治による露骨な権威主義
権威主義2.0:一党独裁(2つのパターンがある。タイプ1の例 中国、タイプ2の例 ロシア)
権威主義3.0:「リベラルな民主主義」の権威主義化
著者は、西側先進国において多くの人が「無力感」と「社会的な息苦しさ」を感じており、それは、権威主義3.0の行き過ぎたポリティカル・コレクトネスの蔓延に起因する、としています。また、リベラル側にはエコーチェンバ効果が起きて、それに賛同しない者には事実上の私刑が加えられている、と書いています。
自由な社会
著者は「自由な社会」とは、「中央集権的ではなく、他者から価値観を強制されず、自らの意志で人生設計を描くことができる社会」と書いていますので、「自由」 とは、価値観を強制されないこと、自らの意志で人生を決められること、と考えてよさそうで、かなり無条件に近い自由かもしれません。
著者はSNSの取締に強く反対していますので、どのような発言も許されるべき、と主張しているようです。そうなると、権威主義3.0の人たちがどんな意見を述べてもいいような気がしますが、著者はそれには賛成しないようです。著者はLGBTQに対して否定的な表現をしています。LGBTQの人たちは自分らも皆と同じく自由に生きたいといっているように見えます。私のような高齢者にはLGBTQの主張が時には行き過ぎと感じることもありますが、自由を求める著者がLGBTQに反対するということは不思議に感じます。このように、私には、記述に一貫性を感じないところがいくつかあります。
著者は、国民年金や医療制度について制度そのものが悪いと反対しています。それはそれで分かるのですが、同時に、これらの制度が人生をコントロールしているから反対、と言っており、なにか回りくどい感じです。政府が管理(集中管理)しているから反対、のほうが主張としては分かりやすいと思います。
あるべき姿
今後どうすべきかという提言は「第3章 自由な社会のあり方」、「第4章 自由な社会の人生の生き方」にあります。最も大切なのは一人ひとりの自律性だということのようです。
今後の社会がどうあるべきか、という意味では、DAO(分散型自立組織)を提唱しています。集中型の組織からの脱却を説いていますので、政府の手から国民の手に少しづつ移してくことが必要、と言っているよううです。ここ数十年、資本主義の危機を訴えている人は非常に多く、政府や従来型の企業とは違う新たな組織を提案している人も大勢いますので、著者の提案もその一つと考えると分かりやすいかもしれません。
著者は、「自由な社会」に必要とされる3つの能力(強靭性、選択性、決断力)について以下のように述べています。
権威主義による抑圧に対抗し、自由な社会を作るために、これらの能力は必ず役に立つ。この能力は過去の社会(中央集権的な社会構造)で重要とされる能力とは、大きく異なるものだと言える。自律した思考に基づき、主体的な行動を行うための能力である。 自由な社会は複雑で変化が激しいものであり、その環境に適応することが必要となる。 適者生存の法則の下、新しい社会を構築し、その中で生き残っていくためには、この3つの能力を効果的に自らの人生に取り込んでいくことが重要だ。
これらの能力が不十分な人たちはどうしたらよいのでしょうか。適者でない場合はどうしたらよいのでしょうか。いずれにしても、著者は、「自由な社会」とは、複雑で変化が激しく適者生存の法則が働く、生き残るには然るべき能力が必要な社会だと、注意を促しているようです。