「経済成長主義への訣別」佐伯啓思(新潮選書 2017)

この本のタイトルにあるように、著者は、経済成長主義に訣別すべきこと、つまり「脱・成長主義」を主張しています。人々は資本主義により経済は成長し続け生活は豊かになると信じているが、このような経済至上主義を続けると、人々の今の普通の生活は破綻する、と継承を鳴らしています。誤解ないように書きますと、著者は、資本主義が誤りなのではなく、成長至上主義が誤りだ、と主張しています。具体的には、例えば、GDPの成長率はゼロでいいじゃないか、というのが著者の主張です。

脱・成長主義

まず、GDPとは何でしょうか。GDPとは付加価値で、要は儲けだそうです。したがって、GDPの伸びがゼロということは、儲けが一定、ということで、経済がシュリンクしているわけではない、つまり、富が縮小するわけではないのだそうです。

著者が問うのは、経済成長、グローバル競争、技術革新の推進で人間は一層幸せになれる、というのは思い込みなのではないか、このような成長主義は近代社会の思い込みなのではないか、ということです。

この本が書かれたのは、日本が新自由主義とグローバル資本主義の道をを突き進んでおり、何かがおかしい、と感じ始めた頃です。グローバル資本主義が機能不全に陥っている。地域格差、所得格差が甚だしくなっている。グローバル経済と、主権国家が相容れなくなっている。と感じ始めた時代です。

殆どの経済学者、ジャーナリストは経済の成長至上主義を当たり前のこととしています。資本主義は経済成長が前提であり、成長しない資本主義はありえないという主張です。なお、所得再分配を主張する経済学者もいるのですが、それは、成長主義への異議というより資本主義の修正だ、と著者は言います。

では。脱・成長主義とは何かというと、経済成長を至上の価値とすることをやめようという主張だそうです。成長主義に関しては、我々は何のために経済成長を目指すのか、という疑問。それは理性的な判断の結果ではないのでなかろうか、という疑問。成長主義のもとで、人々は生活の質を犠牲にしているのでは、などさまざまな疑問がある。何故かというと、現在の資本主義では、もはや我々の経済は十分に成長できる状態にはないからだ。今日のグローバル資本主義はほとんど出口のない危機へ向かっているように見える。その結果、世界では矛盾が積み重なり、イギリスはEU離脱し、アメリカではトランプ大統領を選んだ。日本で試みられたアベノミクスは異なる経済観(新自由主義的なマネタリズムとケインズ主義)を組み合わせた試みであり成果が期待したほどではない。それは、本質的な問題は解決できないからだ。と著者は主張します。

ではどうすべきか

現在、グローバル資本主義に対する風当たりは非常に強くなっています。かといって、終焉に近づいているとされるグローバル資本主義に対する処方箋はないようです。

ではどうすればよいのでしょうか。著者は「人間中心主義」に立ちたい、といっています。「人間中心主義」とは、つまり、成長至上主義等について「それが我々にとってはどういう意味をもつのか?」という問いを発することがとても大事であり、この本では人間中心主義について論じたい、と言っています。実際、この本の殆どがこの問に対する答えを探す記述になっています。我々が生きて生活するために本当に大事なことは何かを論じています。

著者の「人間中心主義」には賛同できるところも多いのですが、社会の人々に対しそれをどうやって広め、動かすのかは考えるだけでため息が出てしまいます。

目次

この本の目次はいかのようになっています。

序章 人間復興の経済へ
第1章 『スモール・イズ・ビューティフル』を読み直す
第2章 1970年代に社会転換が生じた
第3章 高度情報化は「衝動社会」を生み出す
第4章 「稀少性の経済」と「過剰性の経済」
第5章 経済成長はなぜゆきづまるか
第6章 「人間の条件」を破壊する「成長主義」
第7章 経済成長を哲学する
第8章 グローバリズムは人間を幸福にしない
終章 成長主義と訣別する

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