「新アジア仏教史15 日本Ⅴ 現代仏教の可能性」末木文美士他編(佼成出版社 電子書籍版 2018)

この巻は、日本編の最終巻であり、本シリーズの最終巻でもあります。出版社によると、この巻につき「文明が及ぼす地球規模の急速な変化とともに様々な問題に直面する現代仏教。大蔵経デジタル化や修行論など仏教に内在する問題、また民俗、科学、教育・福祉、ジェンダー、医療など、仏教史は単に宗教史の問題に留まらず、社会の諸分野にとっても大きな意味をもって展開してきた。仏教はどう考え、何をしてきたか、そして未来に向けて何を提言できるのか。これからの仏教の行く末は……」とあります。

第1章 大蔵経の歴史と現在

大蔵経とは、経律論の三蔵などの仏教典籍を集めたものです。梵語の原典は完全な形をとどめはいないのですが、その他の様々な言語の訳本が現存しているそうです。中国語訳では何千巻にもなる大変大きななものです。現在まで各言語の大蔵経のデジタル化が進められてきたようです。日本では大正蔵としてまとめられているのですが、多様な漢字で書かれているため、デジタル化に際しては大きな問題になったようですが、WEB上で公開されているようです。その他の言語でもやはり、活字等の様々な問題があるようなのですが、デジタル化・公開は進んでいるようです。

第2章 民俗と仏教―「葬式仏教」から「死者供養仏教」へ

日本では、「葬式仏教批判」が多く聞かれます。本来の仏教は、◯◯であるはずなのに、ただの葬式仏教に成り下がっている、というような批判です。

明治維新後、肉食妻帯が容認されるなど仏教寺院の世俗化がますます進んだのですが、葬儀・墓参・法事など一般庶民の間では深い信仰もないまま慣習化し、単なる儀礼になっているともいえます。戦前迄は、仏教寺院こそが先祖祭祀と家制度の最後の砦になると仏教の現実を擁護する声もありました。しかし、戦後、家父長的な家制度や先祖祭祀が疑問視され、そして「葬式仏教」という言葉が使われるようになりました。

このように、寺院経済を支える儀礼に対し、その現実を嘲笑・軽視する傾向のため、仏教寺院側の優秀なエリートが真剣に打ち込めない状況が生まれ、世襲制・檀家制度に安住し、僧侶の質の低下も産まれました。現在、「葬式仏教」という不幸な言葉は、「死者供養仏教」という枠組みのなかで意義を問い直すべき時期にあります。「死者供養仏教」の基本構造は、長い歴史をとおして日本の民衆に深く根を張り、社会通念となりました。死者を安らかな状態に導くことに生者たちが積極的も関わる、つまり追善供養し、死者は生者を見守り守護する、というのが現在の人々の一般的な通念ともいます。

第3章 科学と仏教―『般若心経』をめぐって

般若心経は現代日本で非常にもてはやされていいます。この般若心経は「空」を説いている、非常に短いお教です。

般若心経の中に、観音様が「五蘊はすべて空だ」という真実を発見し「度一切苦厄」した、という部分があります。著者はここをどのように解釈するかを問題にしています。
1.(観音様が)一切の苦しみから逃れられると理解した
2.(観音様が)衆生を一切の苦しみから助けられると理解した
との解釈があり、著者は1.をとり、2.をとる解釈を非難している。

私(管理人)の理解では、般若心経は、釈迦が舎利子(シャーリプトラ)に対し、観音はこのようにして悟ったのだよ、と教えたものと記憶しています。舎利子は小乗の代表として、観音は大乗の代表として扱われており、般若心経を含め般若経典は大乗の経典であり、小乗を見下している典型的な経典です。だととすれば「舎利子には理解できないかもしれないが、観音は衆生のすべてを救うことを悟ったんだよ」という釈迦のことば、として扱われている可能性があります。

著者は、上の問題はさておき、般若心経では「空」の哲学が中心テーマになっているのに、最後に真言マントラを唱えることを述べているため、「空」がマントラにより骨抜きにされた感がある、と強烈に避難しています。そして、釈迦の教えとはまったく異なる神秘主義が導入された、と。

さて、科学と仏教の関係については、科学も仏教も「真理の探求」と関わるものと言いうるが、両者の違いを次のように述べています。先ず、科学は「真理と如何に相渉りあうか」に重視し、仏教は真理の探求を究極の目標にしている、という点で異なるので、仏教徒がなすべきは経典を学習してブッダが見極めた真相をブッダと同じレベルで知ること、と述べています。一方、科学者は自然の真相を見極める行いを繰り返す。すなわち真理というものに近づくだけであって、どこまでも「仮説」にとどまる、と述べています。

この巻の目次

第1章 大蔵経の歴史と現在
第2章 民俗と仏教―「葬式仏教」から「死者供養仏教」へ
第3章 科学と仏教―『般若心経』をめぐって
第4章 教育・福祉と仏教
第5章 社会参加と仏教
第6章 現代日本の仏教とジェンダー―フェミニスト仏教は開花するか
第7章 医療と仏教
第8章 仏教修行の意味と創造
第9章 アメリカに渡った仏教―現代仏教の象徴
第10章 日本仏教における「批判」
第11章 これからの仏教

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