「生成AI時代の教養 技術の未来への21の問」桐原永叔他、IT批評編集部編著(風濤社 2024 )
この本は、編集者である桐原氏が21人の識者にインタビューする形で書かれています。博識な桐原氏の問により、様々な話題が繰り広げられています。AI、LLM、量子コンピュータなどの分野の歴史、現状、今後が見通せますし、経済、法、文化等の視点のインタビューも参考になります。この本の目次(インタビューの相手)は末尾に記載しますが、以下、いくつかの話題につき下に記します。
「0 序論」で、桐原氏は「AIというテクノロジーは知能を扱うがゆえに、人間の思考、感情、行動のすべてを対象とせざるをえません」、「本書は7つの論点、すなわちAI、言語、量子、経済、社会、文化、哲学を横断しています・・」、「本書が、読者のみなさんにとってテクノロジーを論じるヒントとなり、未来の社会のヴィジョンするための助けとなれば編者としての望外の喜びです」と書いています。
「1 ポスト・ディープラーニングと日本の優位性」の松原氏の研究の歴史、「2 第4次AIブームを切り拓くXAIとCAI」の辻井氏の研究の歴史は、半世紀近く前の若い頃私が携わったテーマにも近く、又、私の周りの人たちのテーマでもあり、当時の状況が思い起こされ懐かしくもあり、そうだったのかという思いをしたところもありました。
「3 来たるべき人とAIとのインタラクション」で、栗原氏は「 そうです。そんな権限を持ったAIはまだ存在していません。それなのにAIが人から仕事を奪ったりAIが人を支配したりという誤解が生じてしまうわけです。法制度にかかわる人たちもテクノロジーの専門家ではありませんから、AIを危険なものだと誤解して研究がストップさせられたりしたら、お終いです。間違った解釈を正しいものとして解釈して物ごとが動いたら、ろくでもないことになりますよね」と書いています。ここで、栗原氏は「AIが人から仕事を奪う」の意味を文字通り人工知能であるAIが自ら人の仕事を奪う、がごとき言い方をしていますが、実際にはそうなる前に、AIを所有する人あるいは操作する人が、それまで人が担っていた仕事をAIにさせる、ということ、が問題だろうと思います。栗原氏の言葉が切り取られると、AI研究者は、研究費が減ることを心配しているのね、と言われることになりそうです。
「4 AIは自分が生きていることを認識できるか」で、川添氏は「個人的には、機械は物であり生き物ではない以上、同じように振る舞うからといって知性があると認めるのは難しいと考えています」と書いていますが、犬や猫と同様、アイボにも知性があると感じる人も確かにいるようでもあります。又、川添氏は「ただ、機械に意識が宿るかどうかを証明するのは難しくて、渡辺先生は機械でつくった脳の半球を人間の脳の半球に繋げて、そのうえで意識があるかどうかを確かめるという非常に大掛かりな実験を提唱しておられます。いずれにしても、そういった科学的な実験によって機械の意識が確認できない限りは、本当の意味でAIが人間と同じように言葉を喋るとは言えないだろうと思います」と書いていますが、意識がないと、機械が人間と同じようにしゃべることはできない、とは、どういう意味で言っているのかよく分かりませんでした。
「13 日本のカルチャーが育むメタバースという異世界に対する想像力」で岡嶋氏は、自身の著書について「自分の意見が変であっても、それを受け入れてほしいという多様性は主張するけど、他人の気持ち悪い意見を受け入れるかといったら、それはない。今後もなかなか難しいと考えています。なので、バブルの中に閉じこもって、一人で楽しく暮らそうよということを言っている、超後ろ向きな本(『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』) なんです」と我々が持ちやすそうな意見を言っています。又、岡嶋氏は「AIが利潤を獲得したときに、そこの会社が総取りするのではなくて、もし仕事を本当に奪ったのであれば奪った人に分けてあげればいい」と書いています。しかし、問題は、AIを所有する人が居て、その人が利益を他人に無償で分けてあげる、と いうのはどういう社会なのだろうか。如何にしてそのような社会を作るか、というのが大きな課題だと感じます。
「17 地球全体を外側から眺めるという知的な革命」で服部氏は「2次元的なものを計算するために、結局のところシラミ潰しにすべて計算しているわけで、そこが1次元の論理を駆使しているコンピュータの限界です」というような表現があるのですが、この辺りは、服部氏のいう「次元」がよくわからなくなります。物理的な次元のことを指すようにも見えるのですが、そうでもなさそうな記述もあります。又、服部氏は「AIそのものには人間が操作しない限りバイアスがありませんから、人間の生存に関わる発想や思考の限界について、可能性を広げて例示することができます」と言っていますが、ある意味AIはバイアスだらけだと思うのですが、、、
「18 ポスト・モダンからポスト・ヒューマニズムへ」で、岡本氏は「また、政治におけるリベラルデモクラシーの信用性もヨーロッパを含め世界的に低下しています。それにもかかわらず、資本主義に代わるものを想定することがほぼ不可能になってきます。ですから、マルクス・ガブリエルのいう倫理的資本主義のように資本主義そのものは前提としつつも、搾取や格差を生むような利益至上主義的でない資本主義を構想するということに留まらざるをえません」、「倫理的資本主義というのは、かつての社会民主的な資本主義と似たようなものを考えているのだと思います。当時と異なるのは、社会貢献を重視するニュアンスを資本主義に付与することでしょう」と言っています。又、学生の間では「少し前はリバタリアン的な考え方が支配的だった気がしますが、最近の学生にはそういう発想は見られません」とのことです。更に岡本氏は「そもそも私たちが正解だと思い込んでいることも、ChatGPTの間違いと同じレベルのことかもしれない。いま私たちが正しいと思っていることについても確証の持ちようがないわけです」、そうすると世の中がますます相対主義的になりませんかという編集者の問に、岡本氏は「そうなると思います。相対主義批判でデビューしたマルクス・ガブリエルは、AIが支配する世界の可能性を一笑に付してみせますけれど」と答えています。岡本氏は相対主義的な思考から抜け出すのは難しい、と言っているようです。
「20 終論」で、クロサカタツヤ氏は「機械の問題と人間の問題を切り分けて、人間の側に相当大きな宿題があるということを明確に示しているのが本書の意義だろう。紙の雑誌の時代からつきあってきた人間として、「IT批評」にはこれからも、テクノロジーが進化を続ける時代に人間が必要とする教養を提供してほしい」と、結んでいます。
この本の目次
1 序論 テクノロジーを語ることは近代を考えなおすこと 桐原永叔(IT批評編集長)
2 ポスト・ディープラーニングと日本の優位性 松原 仁(京都橘大学工学部情報工学科教授)
3 第4次AIブームを切り拓くXAIとCAI 辻井潤一(国立研究開発法人産業技術総合研究所 人工知能研究センター長)
4 来たるべき人とAIとのインタラクション 栗原 聡(慶應義塾大学理工学部教授)
5 AIは自分が生きていることを認識できるか 川添 愛(作家)
6 LLMは「言語ゲーム」的か 大谷 弘(東京女子大学現代教養学部准教授)
7 国産LLM開発に「富岳」で挑む 白幡晃一(富士通研究所コンピューティング研究所)
8 マルチバース化する社会で「クオンタム思考」を身につけよ
村上憲郎(元グーグル米国本社副社長)クロサカ タツヤ(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授)
9 量子超越を可能にしたエンジニアリング視点 藤井啓祐(大阪大学大学院基礎工学研究科教授)
10 頭脳資本主義の時代をいかに生きるか? 井上智洋(駒澤大学経済学部准教授)
11 機械学習とミクロ経済学の幸福な出会い 依田高典(京都大学大学院経済学研究科研究科長・教授)
12 経済学者が取り組むテクノロジーのリスクアセスメント 岸本充生(大阪大学社会技術共創研究センター長)
13 AI時代の法と規範 小塚荘一郎(学習院大学法学部教授)
14 日本のカルチャーが育むメタバースという異世界に対する想像力 岡嶋裕史(中央大学国際情報学部教授)
15 ビッグデータ活用で実現する市民参加型のまちづくり 吉村有司(東京大学先端科学技術研究センター特任准教授)
16 知能から生命へ──人工生命の最前線 池上高志(東京大学大学院総合文化研究科教授)
17 アートとテクノロジーで未来を思索する 長谷川 愛(アーティスト・慶應義塾大学理工学部准教授)
18 地球全体を外側から眺めるという知的な 革命服部 桂(ジャーナリスト)
19 ポスト・モダンからポスト・ヒューマニズムへ 岡本裕一朗(玉川大学文学部名誉教授)
20 科学は命と知を語りうるのか 野家啓一(東北大学名誉教授)
21 終論 機械の問題と人間の問題を切り分けて明示された宿題 クロサカタツヤ
