様々な瞑想法とそれらの特徴

自分の能力を高めたい、ストレスから開放されたい、不安に苛まされているのでなんとかしたい、など様々な理由で、瞑想を試みる人が多いようです。ここでは、様々な瞑想について、その特徴などを考えてみます。過去に私もいくつか試していますので、その経験も踏まえて書いています。

瞑想法のいろいろ

瞑想には様々なものがあります。例えば、あるクリニックのサイト「日常で使えるリラクゼーション法」でも、いろいろな瞑想法が紹介されています。ここでは、そのうちいくつか選んで書きます。

さて、瞑想といったら先ず坐禅でしょうね。心を落ち着けるためお寺で坐禅を組んできた、とおっしゃる人の話はよく聞きます。その他、宗教的な瞑想もありますし、また、逆に宗教色のまったくない心のリラックスを目指した瞑想もいくつかあります。又、ストレス低減に加え仕事での成果を上げることも狙いマインドフルネスに取り組む人も増えているようです。

下では、仏教の瞑想、リラクゼーション型の瞑想、マインドフルネスの3つについて整理してみます。

仏教の瞑想

私達がまず思い出すのは仏教の瞑想かもしれません。坐禅を組み、悟りに至ることを目指します。仏教の瞑想については、悟りという観点で、このブログの「仏教の『悟り』」とはどういうことか」という記事に書きました。

坐禅では、悟りに至るために、あるいは悟りの行として瞑想します。「悟り」そのものはどういうことなのかよく理解できないのですが、瞑想により自己を鎮め、無我の境地、悟りの境地に入ることを目指すようです。無我を会得し、欲望や感情に流されなくなる状態を悟りと呼んだようです。無我とは、全ては移り変わるものでフィクションであり、自己といものは存在しないことを意味します。

ところで、初期仏教(釈迦が生きていたころの仏教)の信者は出家と在家に分かれており、出家者は世俗を離れ修行に明け暮れました。出家の修行はかなり厳しいものがあったようで、出家できない人は在家として日常生活を送りながら修行をしました。しかし、在家が悟るのはかなりの困難があったものと思われます。

現在においても、長期間にわたり禅の修行をするのは、日常の生活を犠牲にする必要があり、簡単なことではありません。しかし、通常、私たちが目指すのは、悟りではなくて、日頃のストレスから逃れ、不安の心を抑え、前向きな気持になれることかと思います。現在、大勢の人が例え短期間であっても坐禅を組むのは、そういう目的かと思われます。そして、坐禅をして良かった、と言う人が多数います。

残念ながら、私自信は坐禅の経験がないため、その効用についてあまりここに書けるようなことはありません。

リラクゼーション型の瞑想

「瞑想」というと、宗教の匂いもし、なかなか難しそうな感じもするため、敬遠する方も多いかと思います。しかし、宗教色がなく、気楽に始められる瞑想として、かなり昔から行われているのが、リラクゼーション型の瞑想です。ストレスは心身の脅威に対する防御反応の現れと考え、心身をリラックスさせて、ストレスに伴う様々な問題を解消しようとするものです。
非常に沢山の方法がありますが、例えば、自律訓練法というのがあります。

その特徴は、体の部分部分に気持ちを集中し、体温や呼吸や鼓動をコントロールしようとするものです。これらを自律的に変化させることができる、という実感が精神の安定に寄与するようです。詳細については、例えば、「言葉によるセルフコントロール術『自律訓練法』で脳をストレスフリーに! /根来秀行教授」といったページを参照してください。

私は、子供の頃から喘息がありました。メンタル面でも弱い子供だった気がします。そして若い頃から、喘息はかなりの部分心理的な要因に左右されることに気がついていました。つまり、不安を感じると大抵発作がおきる、という実感がありました。20代頃に自分のちからでなんとかならないものかと試してみたのが自律訓練法でした。自己流のそこそこの訓練だったため、十分に体得したとは言い難いのですが、それでも効果はあったように思います。以前に比べると、喘息の発作は徐々に減りましたし、又、ある程度、不安を低減し、悩むことが少なくなったような気がしており、そのおかげで、厳しい中間管理職の時代を乗り越えられたのだろうか、と思っています。

マインドフルネス

最近ブームになっているのは、マインドフルネスです。意識を集中し、自分の心の状態を観察する方法です。このブログの「マインドフルネスとはどのような瞑想か」という記事にまとめました。下に簡単に説明します。

釈迦の教えでは、無我を悟るために瞑想をするのに対して、マインドフルネスという瞑想では、自分の心をモニターすることが重要らしいのです。ということは、その時時の意識を眺める自分がいるということになります。

生活の中で不安に感じたり、怒りっ狂ったりするのは、自分が意識してそういう感情を持つのではなく、何故か自動的にそのような感情に襲われます。つまり、私たちの脳は自動運転をしていることが多いのだそうです。そのように勝手に動いている自分自身の意識をモニターして、自分の状態に気づくというのがマインドフルネスの肝です。気づきにより、不安、ストレス、怒りから逃れようとするわけです。

マインドフルネスを行うといろいろなポジティブな効果があります。ストレスや不安から逃れられる可能性があり、さらに、自己肯定感が増し、発想力が増し、仕事の成果が上がる等、企業の成果に貢献することが期待されているため、いろいろな企業でも採用されているようです。

しかし、会社の業績向上にのみ目が向くと、個人の安寧が損なわれかねません。仏教の教えでは、慈悲心を持つことそれ自体が心の安らぎを高めます。その辺りのバランスが大事なことかと思われます。

ところで、マインドフルネスの効果については、私自身の短期間の経験でも、どうやら効果はありそうです。ここ1,2年、怠けながらではありますがやってみた結果としては、ストレスの感じ方が減り、緊張を感じることが減り、怒りの気持ちが生じることもあまりなくなりました。但し、後期高齢者になり数年経ち、たまたま私自身の環境が穏やかになった、というだけかもしれません。もっと確実に効果を知る方法は、妻に聞いてみることですが、恐ろしいので未だ聞いていません。

何故、瞑想に効果があるか

動物は周囲の状況に応じて瞬時に行動しなければ生きていけませんので、そのため、周囲のあらゆる状況を把握しじっくり吟味し判断していたのでは生き延びられません。つまり、体は環境に自動的・瞬間的に反応し、脳も瞬時に判断しなけらばなりません。そのため、人も含めた動物は、体も脳もかなり自律的に動くように進化したようです。

人の脳に関しては、瞑想を試みるとすぐに分かるのですが、意識をどこかに集中しようとしても、すぐあちこちをさまよい始めます。このことからも私たちの意識はほとんど自分のコントロール下にはなくてかなりの部分、自律的に働いていることがわかります。

これはつまり、人は何か問題に出くわしたときに、十分な考察もせずに、悩み、不安を感じ、怒りに達することを意味しています。確かに、私たちのいつもの生活はこんなものなのです。このように勝手に落ち込んだり、怒ったりすることにストップが掛けられるなら随分と生活が変わりそうです。

瞑想は、意識を集中することにより心がさまよい出すのを抑えられますし、それとともに心を安らげる効果があります。マインドフルネスでは、更に、心がさまよい出すその瞬間をモニターすることができるようになります。というわけで、瞑想が役立つことが想像つきます。

あるいは気持ちの問題があるかもしれません。プラシーボ効果(偽薬効果)も大きく作用していそうな気がします。というか、それこそが瞑想の効果かもしれません。

まとめ

禅でいう悟りについては、あまりよく分かっていませんが、私達が生活を送るうえで大事なことは、不安、悩みを減らし、ストレスを低減できる手法を身につけることだといえそうです。これがひょっとすると、悟りに至る一歩かもかもしれません(て、そんな甘い話はないか、、、)。

上で書いたいずれの瞑想でも、共通するのは、気持ちを集中することが第一歩です。その先、
禅では、意識を集中しそれを究極まで高めます。
リラクゼーション型では、意識を集中し心身をリラックスさせます。
マインドフルネスでは、意識を集中し自分の思考の動きに気づけるようにします。

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